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[寄稿]政府がベトナムに公式謝罪する時が来た

3/20(火) 12:00配信

ハンギョレ新聞

 私と電子メールをやりとりしてきた韓ベ平和財団のク・スジョン理事が、今年初めの最初の対面で、3月11日に50周年をむかえるベトナム広南省ハミ村での慰霊祭に一緒に行こうと提案した。韓国軍によるベトナム民間人虐殺被害者の慰霊祭に大韓民国の国会議員が参拝することは初めてだと言った。

 実際、ダナン近郊のフォンニィ・フォンニャットの村に到着し慰霊碑の前に立つと喉が詰まった。碑文に一連番号とともに死亡者の出生年度が彫られていた。1968,1967,1967,1967,1966,1965,1964,1964,1963,1963,1963,1963,1962,1961,1961,1961,1960,1960,1960,1960,1960,1959…。

 いったい何が起きたのか?虐殺は1968年2月12日に起きた。年齢を逆算するまでもない。子どもたちだ。1959年生まれでもまだ10歳にもならない。碑文には名前も当然彫られていた。

 案内者は、ベトナム女性は名前の中に“ティ”(Thi)が入っていると説明した。碑文の成人の名前にはほとんど“Thi”が入っていた。犠牲者74人のほとんど全員が女性や子どもたちだった。フォンニィ・フォンニャットの村だけがそうだということではない。ハミ村の犠牲者135人もそうだった。生まれて両親から名前も付けられないうちに死んだ子どもたちの数がおびただしかった。私たちが訪ねて行った村々で、犠牲者は武装していなかったという。赤ん坊から妊婦まで、みなそんな風に亡くなった。虐殺場所は主に防空壕や自宅の庭だった。

 私は茫然自失した。その日の生存者たちは、いくら戦争のためだと言っても、なぜ子どもまでみな殺しにしたのかと、いや、なぜ自分を生かしたのかと、こんな凄惨な苦痛を抱かせたのかと絶叫した。

 2泊3日の旅行だったが、私の人生にこれ以上長く辛く痛い旅行はなかった。心もからだも痛かった。私はひざまずいた。ハミの慰霊祭でひれ伏して謝罪した。一家9人を失って、その場に家族の墓を作り、塀には韓国の軍人が犯した戦争犯罪だと記録した生存者の前で許しを乞うた。一緒に泣いた。

 大韓民国政府が公式に謝罪すべき時が来た。いやあまりに遅過ぎたし、ベトナムの国民は本当に長く忍耐して待っていた。ある証言者は、私たち一行に参戦軍人はなぜ来ないのかと尋ねた。もしやその家族であっても来た人がいるのかと気になった。犠牲になった自分たちでさえ、これほどみじめで苦しんだのに、人間として許されない行為を犯したその人々はどれほど苦しいだろうかと、その苦痛にどのように耐えたのかと、一緒に慰め合いたいと言われたときは言葉に詰まった。

 ビルが立ち並び、国民所得が増えたからと言って文明ではない。文明には反省と省察が伴わなければならない。間違ったことは謝らなければならない。参戦軍人個人の問題ではない。国家が責任を負わなければならない。今日もベトナムには慰霊碑が新たに建てられている。地方自治体が乗り出して、記録して歴史遺跡に指定している。韓国で少女像が増えているのと何の違いがあるだろうか。

 大韓民国は安倍の道を進むことはできない。それは、文明でも知性でもない。文在寅(ムン・ジェイン)大統領は、新南方政策を明らかにした。アセアンとの関係を朝鮮半島周辺4大国と同水準に引き上げることが目標だと述べた。その開始点はベトナムに対する真の謝罪だろう。今がまさにその時だ。文大統領が22日から始まるベトナム訪問で、生存者・犠牲者の遺族たちと膝を交えて抱き合い慰労してくれることを願う。平和の象徴、ろうそく市民の中からスタートした私たちの大統領らしく。

(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

最終更新:3/20(火) 12:00
ハンギョレ新聞