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弥生中期装身具「管玉」の技法、江尻南遺跡(高岡)発祥か

4/1(日) 1:07配信

北日本新聞

 高岡市の江尻南遺跡から、弥生時代中期の装身具「管玉(くだたま)」1個と製作途中の石のかけらが多数見つかった。新潟と富山で普及した弥生時代の代表的な製作技法「新穂(にいぼ)技法」が用いられ、この種のものでは最も古い。調査した高岡市教育委員会は「江尻南遺跡が新穂技法の発祥の地だった可能性が高い」としている。(文化部次長・近江龍一郎)

 区画整理事業に伴い、2016年8月下旬から12月上旬にかけて約8943平方メートルを発掘調査した。

 管玉は竹管状の玉で、中央部の穴に糸を通し首飾りなどに使われた。今回、穴の跡から緑色凝灰岩の管玉と未完成品がまとまって出土した。穴を空ける石針などの道具も見つかったことから、玉作りの工房を持つ集落があったとみられる。

 弥生時代、管玉の製作技法は主に五つに分けられ、新穂技法もその一つ。石に溝を付けて縦長に分割する他にはない特徴を持つ。初めて出土した新潟県佐渡市の新穂玉作遺跡群にちなんで名付けられた。同県では他にも2遺跡で見つかり、長い間、新潟がこの技法の発祥地と考えられてきた。その後、高岡市の石塚遺跡でも新穂技法の管玉を確認。新潟のものと製作時期が同じだったことが分かり、通説の根拠が揺らいだ。

 江尻南遺跡の集落は紀元前220年頃に営まれ、出土した土器の特徴から、新穂技法の管玉が見つかっている他の遺跡より数十年古いとみられる。このため、新穂技法は江尻南遺跡で確立された後、新潟方面に波及した可能性が高い。

 管玉作りの技術は大陸から九州、山陰、畿内を経由し、各地に広まった。市教委生涯学習・文化財課の杉山大晋主任は「西から入ってきた技術が江尻南遺跡でさらなる発展を遂げた。弥生期の富山の文化の独自性を見いだす重要な発見になる」としている。

北日本新聞社

最終更新:4/1(日) 1:07
北日本新聞