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居残り練習に付き合って、膝が壊れるまでボールを蹴ったコーチ時代 浦和・大槻毅監督の素顔

4/6(金) 14:03配信

スポーツ報知

 あの日のことは、今も鮮明に覚えている。2011年3月11日。10年12月から東北支局へ転勤になった私は、担当クラブであるJ1仙台のクラブハウス1階にいた。

 午後2時46分。ホーム開幕戦となる名古屋戦に向けた練習の取材を終え、パソコンのキーボードを叩いていると、周囲の景色が激しく揺れ出した。天井も壁もミシッ、ミシッと聞いたことのない音を立てて揺れていた。外へ避難しようか尻込みしていると「高橋さん、机の下に入った方がいい」。後輩の記者に促されて、頭を抱えながら上下、左右に揺れ続ける机の下に潜った。数秒後、叫び声が聞こえた。「外へ出ろ。危ないぞ」。声の主は、仙台の大槻毅コーチ(現・浦和監督)だった。

 何枚もの窓ガラスが割れ、壁もはがれ落ちた。机の上のものは、床に散乱していた。あのまま机の下にいたら…と思い返すとゾッとする。私を含め4人の記者を的確に誘導してくれた大槻コーチには感謝している。冷静な判断だったと思う。

 同コーチは11年、他チームの分析も担当していた。4位と躍進した仙台を支え「分析のスペシャリスト」としても知られる。「分析のスペシャリスト」と聞けば、感情に左右されない冷静な人物を想像するかもしれない。ただ当時、指導を受けたDF渡辺広大(現J2山口)に印象を聞くと「冷静なイメージがあるかもしれないけど、熱い人です」との答えが返ってきた。

 市船橋出身の渡辺は、仙台の選手会長に就任した2009年にはJ2でリーグ戦50試合に先発フル出場。粘り強い守備に加えて空中戦でも強さを見せ、チームのJ2優勝に貢献した。しかしJ1昇格後は出場機会を減らし、10年は22試合、11年は10試合の出場に終わった。特に11年、苦悩する渡辺を鼓舞し続けた1人が大槻氏だった。

 「毎日のように居残り練習に付き合ってくれましたね。(センターバックは)ハイボールの処理も重要な仕事の一つ。自分のヘディング練習のために、大槻コーチがボールを蹴ってくれた。自分の膝が壊れるまで、ボールを蹴ってくれたんですよ。『おまえの世代でナンバー1の選手になれ』と言ってくれたのは今でも覚えています。熱いし、優しい方でした」(渡辺)。

 大槻氏は宮城県仙台市出身。故郷での仕事は1年で終わった。12年から強化部のスタッフとして04~10年まで在籍した浦和に復帰。13年からは浦和の育成ダイレクター兼ユース監督を務め、Jユースカップ優勝やプレミアリーグ昇格など結果を残した。

 大役を任されることになったのは、数日前のことだ。1日の磐田戦後、クラブワーストタイの開幕5試合未勝利となった後、浦和は堀孝史監督との契約を解除。大槻氏が、暫定的に指揮を執ることになった。初陣となった4日のルヴァン杯・広島戦では、スタメンを総入れ替えして臨み0―0の引き分け。同監督は就任後、選手に「勝ち点を一つ、勝ち星一つにこだわって、みんなでやりましょう」と語った。その言葉通り、無失点で勝ち点1をもぎとった。

 リーグ17位と苦しむ浦和は7日、ホームで仙台を迎え撃つ。直近のリーグ戦では5勝1分け。6試合連続で負けなしと相性のいい相手だ。ただ仙台は今季、リーグ戦も含め開幕から8戦負けなしでリーグ2位。過去の戦績だけを見て、楽観視できる相手ではない。

 仙台の渡辺晋監督も大槻監督と同様、コーチ時代から選手の居残り練習に献身的に付き合って、選手の育成にも尽力した。あの11年、ともにコーチとして同じチームで戦った2人が、監督として激突するのは今回が初めて。大槻監督にとってはリーグ戦での初陣にもなる。ともに、どんな采配を振るうのだろうか。(記者コラム・高橋宏磁)

最終更新:4/9(月) 14:59
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