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かつて、大相撲の土俵に上がった女性がいた。地方巡業で起きた前代未聞のできごと

2018/4/9(月) 18:17配信

BuzzFeed Japan

若緑関という女性力士がいた。裸一貫で「女相撲」の角界に飛び込み、各地の巡業で人気を集め、女性力士の頂点である大関に上り詰めた人物だ。【BuzzFeed Japan / 籏智広太】


そんな若緑関は引退後、大相撲巡業の主催者として、公の場で土俵に上がったことがある。いまから60年前のこと。なぜ、彼女は「女人禁制」の場所に立てたのだろうか。

17歳で角界デビュー

若緑関は、戦前の日本で人気を博していた「女相撲」発祥の地、山形県で1917(大正6)年に生まれた。

幼い頃から力自慢だったという。そんな彼女が角界入りしたのは17歳、女学生だったころだ。

地元にやってきた「石山女相撲」の興行を見て、その虜に。「相撲取りになりたい」との思いを捨てきれず、両親の反対を恐れて家出し、門を叩いたという。

「強い女性だったんでしょうねえ。家を出てまでして、知らない世界に飛び込むのだから」

そうBuzzFeed Newsの取材に語るのは、「若緑関」こと遠藤志げのさんの息子・泰夫さん(70)だ。

若緑関は、たった3年間で「女相撲」の頂点である大関に昇進。一躍、人気力士となった。ブロマイドの売れ行きもナンバーワンだったほどだ。

「看板大関になってからは、全国各地を巡業してまわって、一世を風靡したんですよ。満州や台湾のほうにも行ったそうです」

泰夫さんによると、当時の女性力士たちは相撲だけではなく、力芸や踊りを披露していたという。

30人ほどの一団となって、全国をまわった。普段の稽古では「男相撲」(大相撲)の力士とぶつかることもあったそうだ。

「当時はエログロだと誤解されることもあったようですが、決してそんなことはなく、正当な相撲を取っていたし、芸事も修練したエンターティナーだったわけです」

戦争を機に引退、そして…

そんな若緑関は、24歳で現役を引退することになる。

太平洋戦争がはじまったからだ。興行は続けられなくなり、興行は解散してしまった。

彼女は巡業先で「ご贔屓」だった知人の伝手を辿り、愛媛県は北条(いまの松山)に。そこで子どもを授かり、小料理店「若緑」を開いたのだった。

それでも、角界との縁はきれなかった。男相撲の巡業が松山にあるたび、若緑関は「現役時代の稽古のお返し」と、力士たちをかいがいしく世話をしていたそうだ。

なかでも同時期に活躍していた、高砂部屋の前田山とは親しくしていたという。泰夫さんはいう。

「そんな前田山は、戦争で相撲をやめてしまった母の花道を飾る『引退相撲』を開こうと、わざわざ北条での巡業を企画したんです」

「巡業の主催者である勧進元は母になるのですが、前田山はあいさつを土俵上でするよう母に言ったのです」

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最終更新:2018/4/9(月) 23:35
BuzzFeed Japan

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