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かつて、大相撲の土俵に上がった女性がいた。地方巡業で起きた前代未聞のできごと

4/9(月) 18:17配信

BuzzFeed Japan

聞こえたどよめきと歓声

泰夫さんが若緑関の人生を描いた著書「女大関 若緑」には、2人のこんなやりとりが記されている。

「皇后陛下でも大相撲の土俵に上がれないことはワタシも知っています。恐れ多くて土俵には上がれません」

「たしかに神代の昔からは女は一度も土俵に上がったことはない。でも、いつまでもそんな考えをしているのは時代遅れだ。日本の封建的な時代は、今度の戦争で終わったんだ」

固辞する若緑関に対し、前田山は「あれほどのスター力士だったのだから」と強く頼み込んだという。責任はとる、とも。

そして、1957(昭和32)年3月末。若緑関が主催となった巡業が、北条で開かれた。

製材所の広場に設けられた土俵上に、意を決した若緑関が紋付きの着物姿で上がると、観客からはどよめきとともに、こんな掛け声があがったという。

「いよ!若緑、日本一ィ」

「女人禁制」の議論だけではなく

会場にいた、当時10歳だった泰夫さんも、その勇姿を笑顔で見届けた。

「上がってええんかのう、と会場もざわめいたようですが、大きな問題になるわけでもなかった。お母さんはすごかったんだと、誇らしかったですね」

女手一人で子ども3人を育て上げた若緑関は、60歳で亡くなった。後年になっても、この出来事を嬉しそうに振り返っていたそうだ。

「当時としても前代未聞のことでした。前田山も破天荒な人だったから、この2人じゃなかったら、こんなことは実現しなかったでしょうね」

「ただ、もう2度と土俵には上がれないともよく言っていました。土俵の神様から『男の土俵には上がったらいかん』と叱られているように感じたのだそうです」

そのうえで、泰夫さんはこうも語った。

「大相撲における女人禁制の議論だけではなく。日本には80年近く続いた女相撲の世界があったということ、そして私の母のような人がいたということを、これを機に知ってもらいたいですね」

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最終更新:4/9(月) 23:35
BuzzFeed Japan