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【門間前日銀理事の経済診断(5)】 家計所得は実は3%の伸び、高齢者や女性が働き始め

4/10(火) 12:07配信

ニュースソクラ

「人の力」を高める地道な構造改革を

 日本経済の緩やかな拡大が続いており、このまま来年の1月まで続けば戦後最長の景気拡張期となる。一方で、「景気回復の実感はない」という声をよく耳にする。その理由の一つが賃金の弱さにあると言われている。

 毎月勤労統計で一人当たりの現金給与総額をみると、2017年度は現時点で前年比0.5%の増加である。最近の基調的な経済成長のペースが1%を優に上回っており、企業収益も過去最高を更新し続けている状況からみれば、0.5%の賃金上昇は確かに寂しい感じがする。

 労働需給は極めてタイトである。失業率は25年ぶりの低水準、有効求人倍率は44年ぶりの高水準である。まさにバブル期並みに人手不足感が強まっているのである。このことと賃金の伸びが低いことのギャップをどう考えればよいのだろうか。

 まず、賃金の伸びが低いとは言っても、「アベノミクス景気」が始まる前は下がるのが当たり前だったので、それに比べれば明確な改善である。賃金は2014年度以降、小幅ながら4年連続で上昇しており、これは過去20年程度なかったことである。

 また、ここ数年、女性や高齢層を中心に雇用がかなりのペースで増加している。このため、「賃金×常用雇用者数」で計算した家計所得の伸びは3%を超えており、これも25年ぶりの高さである。

 このように、景気の拡大という循環的な「光」の部分は、実は比較的はっきりと家計にも波及してきているのである。こうした循環的な明るさが、構造的な「影」の部分によって一部相殺されているために、結果として賃金の伸びが低いものにとどまっている、というのが実態だと考えられる。

 こうした構造的な要因には、先進国が多かれ少なかれ共通に直面しているものが含まれる。典型的にはグローバル化と技術革新である。

 資本が国境を自由に越えられる世界で、株主を重視するコーポレート・ガバナンスが強まれば、企業はグローバルな視点で最適経営を追求せざるをえない。新興国・途上国と先進国との間に明確な賃金格差がある限り、その裁定で利益を得ようとするのは経営者として当然である。

 その結果、貿易や投資を通じて先進国の技術と新興国・途上国の安い労働力が結合される。これは世界経済全体に対してはプラスに働くが、先進国の労働者にとっては賃金抑制要因となる。移民や外国人労働者を積極的に受け容れることも同様の効果を持つ。

 もう一つ、情報・通信を中心に進む近年の技術革新も、賃金の抑制に働く性格を持つものが多い。オンライン・ショッピングなどにより商品の比較が容易になれば、情報の非対称性で稼げなくなる分だけ小売りマージンは縮小し、そこで働く人たちの賃金は抑制される。

 シェアリング・エコノミーの進展は、住居や車などの不稼働時間を減らし経済全体の効率化に資するが、ホテルやタクシーなど競合ビジネスで働く人たちの賃金に下方圧力となる。

 ITの発達はフリーランスで働ける範囲も拡大する。これは、働き方の多様化というメリットを働く側にもたらしてはいるが、マクロ的に捉えれば使い勝手の良い低賃金労働の供給増である。

 日本に固有の要因もある。例えば、介護や保育は人手不足の度合いが最も深刻な分野のひとつであり、今後も需要の増加が見込まれる。しかし、こうした社会的サービスは補助金で支えられている面も大きいため、国民負担を引き上げない限り、人手不足でも賃金を上げにくい。

 また、正社員の転職市場が未発達であることなどから、経済全体では人手不足でも、大きなミスマッチが残存する。例えば、事務的職業では有効求人倍率が今なお0.5倍程度に過ぎず、こうした職種の賃金は上がりにくい。

 さらに、正社員の年功賃金カーブについては、中高年の部分に対する長期的な賃金下方圧力がなかなか消えない。

 このように、賃金を抑制している構造要因は複合的である。そして、構造要因である以上、短期間での解消は難しい。一つ一つ、地道な取り組みを進めていくしかない。

 グローバル化や技術革新そのものに背を向けることは正しくない。ただし、それらのプラス面を一部の企業や高い技能を持つ労働者だけでなく、幅広い労働者の収入増加につなげていくことは、市場機能に任せておくだけでは難しい。

 労働者の技能向上やセーフティーネットの充実の面で、公的な支援が果たすべき役割は大きい。変化の速い時代においては、リカレント教育などの「人づくり革命」が、人生100年でなくても不可欠である。

 また、介護や保育など、社会的な価値は高くても人が集まりにくい分野については、さらなる待遇改善とそのための国民負担を進める方向で、もっと議論を深めてもよい。

 いずれにせよ、単純に金融・財政政策で景気を良くして賃金を上昇させる、というメカニズムが働く余地は次第に限られてきている。事柄の性格からして即効性が期待しにくいことはやむをえないが、「人の力」を高め活かすための構造改革を地道に進めていくことが重要である。

■門間 一夫(みずほ総合研究所 エグゼクティブエコノミスト)
1957年生。1981年東大経卒、日銀入行。調査統計局経済調査課長、調査統計局長、企画局長を経て、2012年から理事。2016年6月からみずほ総合研究所エグゼクティブ・エコノミスト。

最終更新:4/10(火) 12:07
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