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西野朗新監督、サッカーIQの高い選手を好み2つの顔を持つ指揮官

4/12(木) 9:36配信

VICTORY

猛攻を受けながらも耐え抜き、ブラジル代表から勝利を挙げたアトランタ五輪日本代表。圧倒的な攻撃力でリーグを席巻し、タイトルをつかみ取ったガンバ大阪。西野朗監督がこれまで率いてきたチームは対照的な顔を見せている。ヴァイッド・ハリルホジッチ監督の解任を受け、ロシアW杯で日本代表を率いることとなった日本人監督は、どのような存在なのか。ガンバ大阪を率いていた時代から、その一挙手一投足を見続けてきた下薗昌記さんに、新たな日本代表監督について執筆をお願いした。(文=下薗昌記)

ガンバ大阪時代のキーワード「キャスティング」

電撃解任されたヴァイッド・ハリルホジッチに代わって、急遽、日本代表を率いることになった西野朗監督。63歳の今でもスタイリッシュなスタイルを保つJリーグ最多勝監督は、その端正なマスクの裏に二つの顔を持つ。

恐らく今現在もそうだろうが、ガンバ大阪やヴィッセル神戸を率い、関西に拠点を置いていた当時、西野監督が愛用していた高級車のナンバープレートには敬愛して止まないサッカー人にちなむ「14」の数字が刻み込まれていた。

「選手としても好きだったけど、監督でも常にスペクタクルなサッカーをしていたからね」

世界のサッカー界で背番号14と言えば、言わずと知れた故ヨハン・クライフ氏。オランダ代表の天才プレーヤーは、バルセロナでも指揮官として魅惑の攻撃サッカーを構築した。

ガンバ大阪を率いた当時、二川孝広や遠藤保仁らを中心にパスサッカーでJリーグを席巻した西野ガンバだが、全盛時のチームでは遠征時のバス内では常にバルセロナの試合映像が流されていたものだった。

ガンバ大阪では「超攻撃」のチームスローガンが掲げられたシーズンもあったが、西野監督は概ね、ロマンチストな指揮官だった。

ガンバ大阪を率いた当時の西野監督が常に公言したのは「2点取られたら、3点を、3点取られたら4点を」。リスクを恐れないロマンチストは就任4年目となる2005年にJ1リーグで初優勝を手にしたが、当時のチームではJリーグでは例を見ない破天荒な戦いぶりだった。

33得点を叩き出したアラウージョが絶対的エースとして君臨した攻撃陣は得点数でも2位の浦和を17上回る総得点82をマーク。圧倒的な攻撃力で相手をねじ伏せた一方で失点の多さは58でリーグワースト3。手数の多いボクサーが、顔面を血だらけにしながらも相手をなぎ倒すような戦いぶりは、鮮烈でもあった。

もっとも、西野監督がチームの方向性を見いだす上で最も重視するのは「スペクタクル」でも「パスサッカー」でもない。

日々の囲み取材でも、ルー大柴顔負けの横文字(余談だが、横文字が多くなったり、その発音にキレが増したりしている時は西野監督のテンションが高い時だ)が飛び出す名将が常にこだわってきたワードの一つが「キャスティング」である。

ポゼッションサッカーやパスサッカーが西野ガンバの代名詞だと思われがちだが、全盛時のチームスタイルを支えたのは「僕はタレントに恵まれた」と指揮官も認める攻撃サッカー向きの人材だった。

天才パサー、二川や司令塔の遠藤、更には最終ラインで絶妙のビルドアップを見せる山口智、宮本恒靖、そして最前線にはアラウージョら2005年にはハーフカウンターとパスワークを絶妙に交えた戦いぶりで初戴冠。しかし、2002年の就任当初から、指揮官はパスサッカーにこだわっていたわけでは決して、ない。

「僕はFWの持ち味を最大限に活かしてチームを作る」のが当時の西野流。「五分五分の苦しいボールでもマグロンは何とかしてくれた」と遠藤も述懐するように、かつてヴェルディ川崎でも活躍した192センチの長身ブラジル人FWへのロングボールやクロスを活かすチーム作りを目指していた西野監督だったが、2004年の序盤にマグロンが負傷離脱する。「マグロンがいなくなって、下でつなぐしかなくかった。それが当時の僕らに上手くハマった」と、当時を振り返るのは遠藤である。

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最終更新:4/12(木) 18:05
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