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生活再建、入り口にさしかかったばかり 熊本地震2年

4/14(土) 0:29配信

朝日新聞デジタル

 震度7の激震から2年。熊本の被災地では、がれきの撤去が進み、更地に新しく建つ家が少しずつ増えてきた。だが、仮設住宅に暮らす被災者の多くは、次の住まいをまだ確保できずにいる。生活再建は入り口にさしかかったばかりだ。

【写真】仮設住宅の入居者数と公費解体待ち棟数


■住宅は

 熊本・大分両県の住宅被害は20万棟余り。公費解体の対象となる半壊以上は熊本市や熊本県益城町を中心に計約4万3千棟に上った。熊本県で公費解体を待つ住宅は昨年5月まで常に1万棟以上あったが、今年3月末には37棟まで減り、ほぼ完了した。

 県内でみなし仮設を含む仮設住宅に住む人も昨年5月をピークに減少に転じたが、公営住宅や県外のみなし仮設もあわせた仮住まいの人は依然約3万8千人に上る。

 原則2年の仮設住宅入居期間が切れるのを前に県が実施した意向調査では、入居者の半数が住宅再建の時期を「2019年度以降」か「不明」と回答。6割が入居延長を希望した。大きな要因の一つが工事の停滞だ。延長希望者の36%が「自宅建設が間に合わない」を理由に挙げた。災害公営住宅も、人手不足や資材高騰で入札が進まないケースが多い。

 死者の8割を占める災害関連死について熊本県が調べたところ、原因では地震のショックや余震の恐怖が最も多く、避難所生活などでの負担、医療機関の被災による治療の遅れなどがめだった。年齢別では60代以上が約9割。被災を苦にした自殺者も16人いた。(大畑滋生)


■復興は

 熊本県の主な被災自治体の首長へのアンケートで、復興の完了を「100」として今の値を尋ねると、大半が「50」前後と答えた。地震発生から2年。復興事業は「折り返し点」だ。

 報道で大きく取り上げられるのは道路開通のような復興が進んだことばかり。「もう復興は終わったのでは」という印象を持つ人は多いが、幹線道路を一歩入ると崩れたままの道や農地が広がる。

 変わっていく風景と変わらない風景には、それぞれ理由がある。

 都市部から阿蘇のカルデラの中に入る主要ルートの道は、住民も驚嘆する速さでほぼ復旧した。復興のシンボルとして国が直轄して工事を進めたことで加速した。一方で、同じく生活の足や観光資源として必要不可欠な第三セクターの南阿蘇鉄道は、この3月にやっと着工した。全面復旧には5年はかかる。

 集落の再生も足踏みしている。外輪山のふもと、西原村大切畑地区では、坂田哲也区長(61)と大谷幸一前区長(52)が「みんなで40回以上話し合って昨年7月に集落再生計画を村に提出したのに、待てど暮らせど道路や宅地整備の工事が始まらない」と口をそろえる。自力でできることはした。重機で最低限の土砂は撤去し、水道も管を敷設し直した。

 復旧が遅れているのは、財源を確保できなかったからだ。

 地元の予算ではとてもできない。南阿蘇鉄道の救済策も、大切畑のような集落再生への財政支援も、何度も国に要望して、やっと負担が軽減された。その間、待ちきれずに地域を出た世帯も多い。

 決まったことはよかったが、もっと早くできたはずだ。東日本大震災の被災地でも事業の遅れが同じ結果を招きつつある。スピードに欠ける復興は、事業の意義を失わせていく。

 もう一つ、気になる風景がある。阿蘇大橋の崩落現場のような、震災の爪痕を後世に伝える場所だ。安全は最優先だが、どう保存していくかはまだ見えない。

 アンケートでは首長の3分の2が、復興に向けた国の財政支援や法制度が不十分だと答えた。また、工事が殺到して請負業者が決まらないこともさらに遅れを生じさせていた。予測できたはずなのに対応策はなかったのか。次の災害に備える意味でも、今のうちに整えるべきことは多い。(編集委員〈南阿蘇駐在〉東野真和)


■人々は

 熊本地震では「なりわい」も大きな痛手を負った。あれから2年。商店街で農村で、それぞれが再起を期す。


     ◇

 中核となるスーパーやアーケードが崩れた熊本市東区の健軍(けんぐん)商店街。青果店「フルーツショップモリタ」を営む森田憲一さん(66)の顔は晴れない。

 「一度途切れた客足はなかなか戻りませんね」

 隣に立つスーパーは、昨年8月に規模を縮小して再開した。半分ほどになったと感じていた人出は、戻り始めたとはいえ、元の7割程度。閉めたままの店も目立ち、自身の経営も楽ではない。

 周囲で住宅再建が進むにつれて、離れた仮設住宅にいたなじみの顔も見るようになった。引っ越した得意先からも時折、注文が舞い込む。客がいる以上、商売をやめるつもりはない。「生まれも育ちも健軍。この街を離れるわけにはいきません」。店の近所にある自宅もまもなく再建される予定だ。(大畑滋生)


     ◇

 店舗が全壊した益城町広崎の「のぐち酒屋」には今年1月、新たにバーがオープンした。「人が集える場所にしたい」と店主の野口義晴さん(64)が修復を始めるときから温めていた計画だった。

 全国から集めたこだわりの酒は、震度7の揺れでほとんどダメになった。インターネットで商売を続けていたが、売り上げは10分の1に。店をたたむことも考えたが、「無事だった酒を買いたい」と声をかけてくれた友人や地域の人に背中を押された。

 バーテンダーが夢だったというおいの鳥成祥(とりなりしょう)さん(22)が夫婦で埼玉から移り住み、野口さん夫妻と交代で切り盛りする。野口さんは町内外から集まった客と時に杯を傾け、時に歌う。「また、笑顔が見られる場所になりました」(池上桃子)


     ◇

 巨大な地震は、農家が愛着を持っていた土地をゆがませ、亀裂を走らせた。阿蘇市役犬原(やくいんばる)のトマト農家、中嶋俊次さん(65)、しずえさん(62)夫妻も、ビニールハウスと植え付けを待つばかりの5千本のトマトの苗を失った。

 40年近くトマトづくりに携わってきた。豊富な「役犬原の湧水(ゆうすい)」と有機肥料を使ったトマトは、甘さが自慢だった。「自然には勝てん」と一時は落ち込んだが、仲間から苗を分けてもらったり、ハウスを借りたりして続けた。自分の田んぼをつぶしてハウスを建ててみたが、いま一つ満足できなかった。

 壊れたハウスを撤去し、更地となった土地は昨年8月から使えるようになった。俊次さんは「ようやく、ここに戻って来られた。うれしかですね」。この春からコメをつくり、再来年にはトマト栽培を復活させるつもりだ。

 「トマトが好きだけん、つくらな生きていけん。自分たちのためにつくりよるようなもんばい」

 2人で笑顔を見せた。(金子淳)

朝日新聞社