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1950年春の早明戦に集約された大学野球の魂

4/14(土) 11:01配信

東スポWeb

【越智正典 ネット裏】学生野球が始まった。東都大学、東京六大学が開幕した神宮球場には、ことしもナンジャモンジャの花が白く咲き始めるであろう。

 春が近づいたとき、私は学生野球を見に行くときは、あの本をもう一度読んでおこうと、昭和25年8月1日発売の「月刊ベースボール」をさがして部屋に積んでおいたので、出かけるときによかった。本は当時の野球誌らしく、スター選手の写真記事満載。早慶戦の熱狂マンガ、飛田穂洲の至言「学生野球のために」が掲載されているのである。私は、その頃早大石井藤吉郎の死線を越えた本当の強さを学んでいたが、飛田穂洲は一気に1950年春の早明戦を活写している。

「今春行われた早明戦が大学野球台頭の陣鼓を高らかに鳴らしたのは、彼等の技量が接近して一勝一敗の好試合になったからではない。彼等が一投一打に若き情熱を挙げてあくまで、からみ合ったところに観球者の心を強く引きつけ、学生野球の真価を認めさせたからである」

「一見長身であるが、きゃしゃに見られる明治の入谷正典が精根を込めて、三日連投したあの武者ぶり、しかも、二回戦の終わりに宮原実の猛打を脚部に受けて、皮下出血さえしたという彼が、三日目の第三回戦を平気でプレートにのぼり、強敵早稲田を最後までおさえた。投球術から見た入谷はまだまだ大学投手として一人前とは思われない。それがかくまでの奮投をしたことは、彼の持つ母校野球部の熱情のほとばしり以外の何ものでもあるまい。大学野球のよさはまことにここにある。かほどの気力と熱意を試合に現し得れば、勝敗の如きは敢えて問うところではないであろう」

 飛田穂洲は、ついに言うのだ。

「大学野球が技術的に存在の意義を持とうなどと大それたことを考えると、ことは必ず志と違う破目におちいるであろう」

「もち論、技術的に一向進歩を見せなければ問題にならぬけれども、およそ大学野球の技量には限度がある」

「学習年数に制限のある大学選手は、むしろ上手になりかけたところで、はや卒業という場合があり、プロ選手のように無期限のプレーは許されない」

「学生の野球には一種の人生修業としての大きな目的があり、技術の巧拙など第二義的に考えることが常道であるから、技術のみでその声価を高めようなどと考えてはならない」

 そういえば、東京六大学80周年を記念しての座談会が終わった後、入谷正典は横浜の夕雲を眺めながらポツンと言うのであった。

「練習に感謝しています」

 自分の功を決して語らない男だけに、忘れられない彼の青春譜である。もちろん、学生野球の箴言である。=敬称略=(スポーツジャーナリスト)

最終更新:4/14(土) 11:01
東スポWeb

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