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シリア人医師が証言、東グータの医療現場で目の当たりにした恐ろしい現実

4/14(土) 9:02配信

The Telegraph

【執筆:Mohammed Samer】
 これを書くことが正しい決断なのかはわからない。私が言うことに耳を傾けてもらえるかどうか確信はないし、たとえ私の言葉が外の世界に届いたとしても、何かが変わると信じるだけの根拠はない。でも私はとにかく自分の話を他の人々と共有するつもりだ。なぜならそれは、かつてこの地で生きたすべての男性や女性、子どもたちの話だから。
 
 私は、シリアの首都ダマスカス近郊、東グータ(Eastern Ghouta)のドゥマ(Douma)で、ここで何世代も暮らしてきた家族の元に生まれた。父親は、祖父から受け継いだ食料品店を経営している。ここでは、家族がすべてだ。

 7年前の私には、いつかグータで人々が飢え死にするようになることなど信じられなかっただろう。シリアの緑地帯に位置するグータは、さんさんと輝く太陽とこの地域で最も良質な土壌に恵まれている。人々はかつて言ったものだ。「ダマスカスで飢餓は起きない、太陽がその庭を照らしている限り」と。

 今となってはこうした思い出も、現実離れした甘い夢に過ぎない。

 内戦が勃発した時、その道がどこに続いているのか、また恐怖の度合いが計り知れないものになろうなどとは、誰にも予想できなかったと私は断言できる。

 初めは、通常の生活のほぼすべての場面が突然中断した。だが、長続きはしなかった。私たちは、それに適応し日々の営みを継続させるためのさまざまな方法を見つけ出したからだ。

 学校が閉鎖された時には、生徒たちは地下で勉強を続け、病院が爆撃を受けた時には、医師らは自分たちの自宅で手術を行った。

 誰もが目的を持っていた。私にもすぐに自分の目的が見つかり、私は学生臨床実習生として病院で働き始めた。

 私が初めてこの内戦の代償を目の当たりにしたのは、緊急救命室(ER)にいた時だった。それからは、銃弾から爆弾、化学兵器に至るまで、あらゆる種類の兵器が人体に及ぼす影響を目にしてきた。

 狙撃兵による負傷者が次々に担ぎ込まれる日もあれば、近隣住民や家族が一度に搬送されてくる日もある。

 時々、血を流した数十人の負傷者が床に横たわり、私たちの助けを待っていることもある。私たちは彼らの間を走り回り、即座に数人の命を救おうと試みる。私たちは常に、どの患者に生き延びるチャンスがあるか、どの患者を最初に救うべきか評価するようにしている。

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最終更新:4/14(土) 9:02
The Telegraph