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【Beyond2020(8)】文化の輸出に舵を切ろう。それしか道はない

4/14(土) 21:17配信

東北復興新聞

三陸石鹸工房KURIYA 代表 / 株式会社アイローカル 代表取締役 厨(くりや)勝義

福岡県出身。地元の高専専攻科修了後、設計技師として機械メーカーに勤務。退職して世界各国を旅行し、帰国後は東京で人事コンサルタント会社に勤務。その後、翻訳業へ転身。東日本大震災の2週間後に、車に物資を詰め込んで南三陸町へ。3カ月後には同町に移住し、ボランティアツアーの企画や起業支援などの活動を実施。2014年に株式会社アイローカルを設立し、2015年1月に三陸地方の自然素材を使った石鹸を製造・販売する「南三陸石けん工房」をオープン。同年10月に女川町で移転・オープンし、「三陸石鹸工房KURIYA」として営業を続けている。

ー”あれから”変わったこと・変わっていないことー 希望であり、絶望であり、無関係でもある

この震災が、日本社会にとってどんな意味をもつのか。それは人によって捉え方や解釈は様々で、一概に「こうだ」とは言い切れない。ある人にとっては「絶望」であり、ある人にとっては復興の文脈で生まれた動きが「希望」であり、またある人にとっては自分とは「無関係」なことかもしれない。同じように家族を亡くした人の中でも、生まれ変わったように一生懸命働いている人もいれば、6年半経った今も依然として前へ進めない人もいる。人間はこんなに変わるんだ、という希望も見たし、一方でこんなに変わらないのか、という現実も見てきた。震災に運命を重ねたり、意味を見出すかどうかは人それぞれの判断で、少なくとも自分はある一面だけを切り取ってとやかく言うことはできない。

それでも、震災を経験したことで「いつ何が起こるかわからない」「人生は有限である」などと感じ、「人の役に立ちたい」と行動する人は確実に増えたと思う。「みんながいい」と評価する人生ではなく、「自分がいい」と感じる人生は何なのか。多くの人がそれを追求し、人生を変えた。特に東北では、そういう自分の生き方を貫く人が数多く生まれ、その姿を目にした人たちも自分の生き方を変えていく。東北を起点にして、そういう循環が生まれている。

経験ゼロから100種以上の試作重ね、石鹸工房をオープン

僕自身も仕事や仲間、住む場所など自分を取り巻く環境が一気に変わった。震災から2週間後に、南三陸町へ車で物資を運んだときに目にした光景。まだ遺体があちこちに残されている。相当に衝撃的だった。「これは国難だ。同じ日本人として、できることをやろう。いや、やらなきゃいけない」。そう決意し、持ち出しで100万円使い切るまで支援することに決めた。7月には南三陸町に移住し、主に現地と外部のボランティア・支援団体とのマッチングなどに奔走した。

当初は100万円を使い切ったら撤退しようと思っていた。その年の冬には底をつきそうだったのだが、僕が勝手に想像していたスピードでは復興は進んでおらず、またすでにその頃には住民や関係者の知り合いが増えていて、「◯◯さんがまだ困っているからなあ」などと続けているうちに抜けられなくなってしまった(笑)

震災から3年ほど経った頃、いよいよ南三陸に腰を据えようと決断した。そこで目をつけたのが石鹸だった。気仙沼市の仮設住宅で行われた石鹸づくりのワークショップを見学したとき、女性たちの熱心で楽しそうにしている姿が忘れられなかった。南三陸には若い女性にとって魅力的な働き口が少なく、それが地元を離れる一因になっていた。若い女性が地元に留まれば、町に活気が生まれる。また、石鹸の市場は高付加価値化が進んでいて、ビジネスとしての魅力もある。さらに、南三陸をはじめとする三陸沿岸の自然素材を使えば、世界のどこにもないオリジナリティを出せるとも考えた。

石鹸の製造経験はゼロだったが、教室に通うなど独学で研究し、試作を100種以上繰り返した末、2015年1月に「南三陸石けん工房」をオープンすることができた。1人でひっそり始めた事業だが、その後女川町に移転し、雪だるまのようにコロコロと転がりながら少しずつ大きくなっていった。

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最終更新:4/14(土) 21:17
東北復興新聞