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非常事態、ベストを尽くせるか 熊本地震から2年 自身の被災を押して登庁した市長の覚悟

4/16(月) 11:18配信

qBiz 西日本新聞経済電子版

 島根県西部で4月9日未明に起きた震度5強の地震で、NHKアナウンサーの対応がインターネットで話題になった。自宅で寝ていた松江放送局の男性アナが放送局に駆け付け、地震発生から18分後にはスーツ姿で臨時ニュースを伝えた「対応の迅速さ」を称える声が相次いだのだ。その記事に目を通しているうち、2年前の熊本地震での出来事を思い出した。

 熊本地震は2016年4月に起きた。14日夜に前震、約28時間後の16日未明に本震が発生。ともに最大震度7を記録する激震で、隣接する大分県も含め住家20万棟超(うち大分は約8300棟)が損壊した。犠牲者は、直接死55人(うち5人は二次災害死)、関連死212人(3月末現在、大分の3人を含む)で計267人に上る。

 思い出したのは、本震発生後、熊本市役所に駆け付けた大西一史市長の姿。そのとき彼の右足は血まみれだった。

 前震後から対応に追われた大西市長は、翌日深夜、着替えを用意するため熊本市中央区の自宅に一時帰宅。そのとき本震が起きた。中央区は震度6強。建物が傾くほど激しい揺れで室内のガラスが割れ、床に散乱した。そして停電。暗闇の中、家族を屋外に避難させるまでの間に、素足でガラスの破片を踏んだ。右足の裏に深い傷を負ったにもかかわらず、何の処置もせず市役所へ。血だらけの足元に職員たちは仰天したが、市長はそのまま夜通しで陣頭指揮。庁舎内で傷口を10針縫う処置を受けたのはそれから約1週間後だった。

 私は当時、福岡との県境の沿岸部にある支局に勤務し、熊本市役所に応援取材で入ったのは本震発生から数日後。大西市長の“血まみれ登庁”はリアルタイムで目にしたのではなく、その後の取材で知った。やがて市長の「被災」は報道陣に発覚したが、大きく報じられることはなかった。当時、市は最大11万人超が避難して大混乱のさなか。ある職員が証言する。「箝口令が敷かれたわけではないが、市長は自身の被災についてあえて発信しなかった」

 しかし、それ以外の発信は実に活発だった。被災状況が報告される会議はオープン。ツイッターを駆使した市長の直接発信も光った。市民に情報提供を呼び掛けると水道漏水などの情報が写真付きで次々に寄せられ、破損箇所の特定につながった。SNS上で「市動植物園からライオンが逃げた」と騒ぎになった際は「市の情報は市ホームページで発信。それ以外の情報には注意を」とデマ情報を否定。被災概況が判明すると、市民にこう呼び掛けた。「被災して失意のどん底にいる皆さん、避難所でつらい生活を強いられている皆さん。私は全身全霊をかけ、この熊本を必ず再生させます」―。この一連のツイートで、それまで数千人だったフォロワーは数万人に急増したそうだ。(※今年3月末現在では約9万6千人)

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