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国史跡の「八代城跡」修復が終了 熊本地震で石垣が崩落 「記録を後世に」学芸員の決意

4/16(月) 12:18配信

西日本新聞

 熊本地震で石垣が長さ約6メートル、高さ約3メートルにわたり崩落した八代市松江城町の国史跡・八代城跡の修復工事が終了した。地震発生から2年。担当した市文化振興課主任学芸員の山内淳司さん(46)は、八代のシンボルともいえる城跡の早期復旧を喜びながら、ある後悔の念とともに「石垣の被害状況と復旧の記録を、将来の教訓としてしっかり後世に伝えたい」と決意を新たにしている。

⇒【画像】熊本地震で一部が崩れた八代城跡の石垣

 山内さんは2006年まで6年間、八代城の前身、麦島城跡の発掘調査を担当した。麦島城は市内の寺院に残る古文書に大地震で崩壊したと記されているが、発掘調査で1棟丸ごと倒壊した平櫓(やぐら)が出土した際、山内さんは倒壊原因を地震ではなく、廃城に伴う儀式で人為的に倒されたと考えた。理由の一つは、古文書の記録が他になかったこと。さらに、他県の調査で廃城時に儀式が行われたことを裏付ける複数の出土例があり、麦島城にも当てはまると思われる点があったからだという。

「被災者の復興へのエールになってほしい」

 調査報告書に地震説と儀式説を併記したが、報告会や学会では儀式説を強調した。だが、熊本地震で熊本城の被害映像を見た山内さんはがくぜんとした。「(発掘調査で出土した)麦島城の倒壊した平櫓の光景と全く同じだ」。大規模地震が原因だったと確信した。

 「12年前、地震説の可能性を発信していれば、県民や行政の地震への備えも、もっと強まったかもしれない」。山内さんは、八代城跡の修復過程の公開を職場内で提案し、4回の見学会開催を実現した。説明資料には「400年前の地震で麦島城は倒壊した」と記した。現在、まとめている修復工事報告書でも地震説が妥当と明記するという。

 「あれだけ崩れた八代城跡の石垣も復旧できたことが、被災者の復興へのエールになってほしい」。山内さんの願いだ。

西日本新聞社

最終更新:4/16(月) 12:18
西日本新聞