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米子城跡で山の斜面から竪堀出土 登り石垣と一体で防御 鳥取

4/17(火) 7:55配信

産経新聞

 鳥取県米子市の国史跡・米子城跡で、本丸のある山の斜面を登るように掘った「竪堀(たてぼり)」が出土し、16日、同市が発表した。竪堀は江戸時代の絵図に描かれておらず、これまで存在が知られていなかった。

 米子城は、鳥取、島根両県にまたがる中海に張り出した湊山(90メートル)に築城。同市は平成29年度、史跡保存整備事業の一環で発掘調査していた。

 竪堀は湊山の北東斜面で見つかり、全長63メートル、幅1・5~13メートル、深さ2~6メートル。ふもと部分で、人工的に作られた全長約40メートルの崖とつながっていた。竪堀は中世の山城で多く造られ、敵の横方向の移動を阻止し、防御する機能を持つ。

 米子城は天正19(1591)年、戦国武将の吉川広家が築城を始め、竪堀も同時期に整備されたらしい。同城跡では28年度の調査で、港湾防御などを目的とする「登り石垣」が出土。この石垣は、豊臣秀吉の朝鮮出兵で日本側の武将が朝鮮半島南岸の城に多く用いており、従軍した広家が米子城に導入したとされる。

 市は「米子城は、中世の竪堀と最先端の登り石垣がセットで機能し、興味深い」と評価する。

 竪堀の底からは、本丸で使われたらしい軒平瓦片(縦11センチ、横20センチ、厚さ2・5センチ)が初出土。瓦片には、岡山城(岡山市)や月山富田城(島根県安来市)と同じ小槌(こづち)などの文様があり、市は「山陰、山陽の城主が同系列の瓦工人集団を抱えていたことを示す貴重な史料」としている。

 現地説明会が21日午後1時から開かれる。参加希望者は同時刻までに、県西部医師会近くの米子城枡形に集合する。

最終更新:4/17(火) 7:55
産経新聞