ここから本文です

お使いのInternet Explorerは古いバージョンのため、正しく表示されない可能性があります。最新のバージョンにアップデートするか、別のブラウザーからご利用ください。
Internet Explorerのアップデートについて

山田風太郎の足跡伝え15年 養父の記念館、ファン拡大に尽力 22日から企画展

4/17(火) 7:55配信

産経新聞

 山田風太郎(1922~2001年) 本名・誠也。養父市関宮(旧関宮町)に生まれ、東京医科専門学校(現在の東京医科大学)に在学中の昭和22年、発刊間もない探偵小説雑誌「宝石」で「達磨峠の事件」が初入選し、その後、作家活動に入る。「忍法帖」シリーズや「戦中派焼け跡日記」、エッセー「半身棺桶」などの作品で知られる。

 養父市関宮の「山田風太郎記念館」が今月1日、開館15周年を迎えた。全国で唯一の風太郎の文学館で、直筆原稿などのゆかりの資料は約2千点に上る。記念館は22日から記念企画展を開催する。

 記念館は平成15年、旧関宮町が約4300万円をかけ、風太郎が通った旧関宮小学校跡地に建設した。本館(鉄筋平屋建て約150平方メートル)は事務所と風太郎の図書展示、企画展のスペースなどがあり、別館(同約80平方メートル)は会議室と資料庫。

 風太郎は、自身の文学碑や記念館には無関心だったが、風太郎の小学校時代の同級生らでつくる「山田風太郎の会」が中心になり、生前に初版本など約1300点の資料を譲り受け、記念館が実現した。

 当初から同会で活動する作家の有本倶子さん(73)は、風太郎の死去後も東京都多摩市の風太郎邸を何度も訪れ、妻の啓子さんと親交。啓子さんは自宅で風太郎の直筆原稿などが見つかると、有本さんを通じて記念館に寄贈している。

 記念館は風太郎関連の資料を充実させる一方、風太郎の命日(7月28日)には「風々忌」、企画展などを開催し、風太郎ファンの拡大に尽力する。

 しかし、課題もある。指定管理者として運営する「山田風太郎の会」のスタッフが高齢化。入館者も開館当初の年間約3千人をピークに、ここ数年は約2千人と低迷している。

 有本さんは「記念館には全国の風太郎ファンが訪れます。これからも風太郎情報の発信と入館者を増やす努力を続けたい」と話している。

                   ◇

 記念企画展は、風太郎が作家になるきっかけとなった戦後の探偵小説「宝石」とのかかわりをテーマに、初期から昭和30年代の「宝石」、同誌に掲載された風太郎の直筆原稿などを初めて展示する。

最終更新:4/17(火) 7:55
産経新聞