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「死んでもいいから」母嘆願も…病に夢奪われた高原

4/17(火) 7:52配信

日刊スポーツ

 「死んでもいい! W杯に出たい!」 そう訴えた選手がいた。02年ワールドカップ日韓大会メンバー発表前、静脈血栓塞栓(そくせん)症(通称エコノミー症候群)に苦しんだFW高原直泰はその思いを日本サッカー協会に伝えていた。W杯には選手選考でもさまざまなドラマがある。ロシア大会開幕までの連載「フットボールの真実」でW杯メンバー選考の舞台裏を追った。

【写真】練習試合で対戦し、沖縄SV・FW高原(左)と握手するG大阪遠藤

 02年5月。日本協会は当時、東京・渋谷区にあった。その一室。高原の母静子さんは重い口調で切り出した。「本人はグラウンドで死んでもいいと言っています。実力で選ばないなら仕方ないのですが、もし病気のことで呼ばないのなら、もう1度考えてください。今回のW杯は日本でやりますし、移動の負担もないはずです。ドクターからもOKをもらっています。水もたくさん飲ませます…」。相手は強化推進本部の加藤彰恒部長。選手の母による異例の嘆願だった。

 その数日前、日本協会は高原が所属する磐田にこう伝えていた。「実力はW杯メンバーに入っても全然おかしくないと思います。しかし生死に関わる問題なので、メンバーから外さないといけません。これは現場ではなく、医事委員会(現医学委員会)の結論です。FIFAにも確認しています」。加藤部長は母と対面した席でも同じ内容を繰り返し説明し、理解を求めた。それでも、看護師の母は息子の切実な思いを訴えた。「死んでもいいんです」。涙をこらえながら、考えたくもない息子の「死」を何度も口にした。

 その2カ月前。22歳の高原はトルシエジャパンのエースFWとして存在感を示した。敵地ポーランド戦で得点し、W杯メンバー入りを大きくアピールした。その夜、現地ホテルで開いたスタッフミーティングで、指揮官は高原を高く評価した。W杯で高原が攻撃の軸になることも示唆したという。サミア・コーチ、山本昌邦コーチも異論はなかった。

 しかし、その翌日に不幸が襲いかかる。ポーランドからパリまでの3時間のフライトを終えると、息するたびに高原の左胸が痛んだ。脱水症状と認識し、トランジットの間、パリから成田までのフライト中も水を何度もがぶ飲みした。帰国して胸の痛みに耐えながらJリーグ2試合をこなしたが、痛みが極限に達し緊急入院した。肺血栓。選手生命が断たれる危機に陥ったが、W杯出場のことが頭から離れなかった。

 日本協会は、代表合宿中に起きたことに責任を感じ、救済策を見いだそうとした。母の訴えの後、FIFAに再び問い合わせたが「大会3カ月前にそのような病気を発症した選手はW杯出場を許可できない。W杯出場条件は、完治してから6カ月以上たつこと」とくぎを刺された。

 結局、高原の代わりに選出されたのはサプライズの中山雅史。FWの軸となったのは柳沢敦だった。日本はW杯初勝利を挙げ、決勝トーナメントに初進出したが、高原が軸となっていれば、また違う結果になっていたかもしれない。高原は7月に復帰し、無念を晴らすかのように得点を重ね、その年にJリーグ得点王とMVPを取っている。

 この件について沈黙を続けた高原は、W杯閉幕から2カ月以上たち、ようやく「(肺血栓で)全ての計画が崩れた」と短く語った。W杯ドイツ大会のメンバーに入った際には「親に迷惑を掛けたから、ドイツではみせたい」と親しい関係者に決意を打ち明けている。【盧載鎭】(つづく)

最終更新:4/17(火) 11:04
日刊スポーツ