ここから本文です

お使いのInternet Explorerは古いバージョンのため、正しく表示されない可能性があります。最新のバージョンにアップデートするか、別のブラウザーからご利用ください。
Internet Explorerのアップデートについて

「新幹線」大正時代からあった? 意味が変わった言葉の歴史

4/18(水) 6:21配信

乗りものニュース

戦前にもあった新幹線の計画

 最高速度200km/h以上で、全国のおもな都市を結ぶ新幹線。日本の鉄道を代表するものとして、その存在を知らない人は少ないでしょう。

【史料】「弾丸列車」と呼ばれた戦前の新幹線計画図

 新幹線が初めて世に現れたのは、半世紀以上前の1964(昭和39)年のことです。このとき、東京~新大阪間を結ぶ東海道新幹線が開業しました。東京と大阪を結んでいた幹線鉄道(東海道本線)に並行する高速列車専用の「新しい幹線鉄道」として、「東海道新幹線」と名付けられたといえます。

 その後、山陽本線に並行する山陽新幹線、東北本線に並行する東北新幹線などが順次開業。いまでは「新しい幹線鉄道」というより「新幹線」自体が高速鉄道を表現する言葉として定着し、海外でも「Shinkansen」の名が広く知れ渡るようになりました。

 ところでこの「新幹線」という言葉、いつごろから存在するのでしょうか。東海道新幹線の建設が本格的に考えられるようになったのが1950年代。1958(昭和33)年に建設計画が承認され、1959(昭和34)年に着工していますから、この時期に国鉄が作った造語のように思われるかもしれません。

 しかし、戦前の国鉄線を運営していた鉄道省(現在の国土交通省に相当)は、遅くとも1939(昭和14)年には「新幹線」という言葉を使っていました。

 このころ、鉄道省は東京~下関間を結ぶ高速鉄道を計画していました。現在の新幹線と同様、在来線(東海道・山陽本線)に並行して高速列車専用の線路を別に建設する計画でした。鉄道省は、この高速鉄道計画を「新幹線」と呼んでいたのです。

 ただ、当時の新聞は「弾丸のように速い鉄道」という意味で「弾丸列車」と呼ぶことが多かったようです。戦時体制に突入していった時期でもあり、当時の世相を反映した言葉といえるでしょうか。

新幹線は「鉄道限定」の言葉ではなかった

 弾丸列車計画は戦時体制への突入による資材不足の影響で、1943年(昭和18)度に中止。戦後、弾丸列車計画で買収した建設用地を活用する形で建設されたのが、現在の東海道新幹線になります。いずれにしても、「新幹線」という言葉は東海道新幹線が計画された1950年代ではなく、1930年代の段階ですでに存在していたことになります。

 ところが、さらに昔の新聞記事を当たってみたところ、大正時代の1910年代にも「新幹線」という言葉が使われていました。

 たとえば、1914(大正3)年11月4日付の台湾日日新報は、中国大陸の鉄道新線計画を「新幹線」と表現しています。1919(大正8)年12月19日付の大阪毎日新聞も、大阪市と堺市を結ぶ新しい幹線道路を「阪堺新幹線」と記していました。

 つまり、新幹線は開業から半世紀以上の歴史があるものの、「新幹線」という言葉自体は少なくとも1世紀以上の歴史があるということになります。ただ、大正時代の新聞記事を読む限り、このころの「新幹線」は鉄道に限定された言葉ではなく、道路も含めた「新しい幹線交通」を意味する言葉だったようです。

 そう考えると、東京~下関間の高速鉄道計画が「新幹線」ではなく「弾丸列車」と呼ばれることが多かったのも納得できます。報道各社としては、道路も含まれる「新幹線」という言葉を高速鉄道計画の名称として使うことに違和感を覚え、当時の世相も重なって「弾丸列車」と言い換えていた面もあったのかもしれません。

草町義和(鉄道ライター)