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ロシアW杯緊急登板の西野新監督はマイアミで中田英寿氏を外した信念の人

2018/4/20(金) 6:00配信

THE PAGE

 Jクラブの指揮官としてのハイライトは、ガンバ大阪が悲願の初タイトルを獲得した2005年のJ1制覇となる。遠藤保仁という稀代の司令塔の特徴を最大限に生かしながら、たとえるなら一発殴られたら倍返しにするような、超攻撃的なサッカーを標榜した。 

 J1が18チーム体制となった2005シーズン以降の優勝チームを見れば、この年にガンバがあげた82得点は歴代最多となる。同時に58失点もワースト1位であり、二桁の10敗を喫して優勝したのもガンバだけだ。もちろん、勝ち点60も歴代で最少だ。

 スリルと興奮に満ちたスタイルを追い求めた一方で、名古屋グランパスを率いて2年目となる2015年には、周囲を仰天させるコンバートを成功させている。50mを5秒8で走破するJ1屈指の韋駄天、永井謙佑(現FC東京)を左ウイングバックで起用したときだ。

 当時のグランパスはファーストステージ4戦を終えて、唯一の未勝利で最下位に沈んでいた。サンフレッチェ広島との第5節を前に、豊富な運動量と多彩なテクニックでチャンスを作り出す、右ウイングバックのミハエル・ミキッチ(現湘南ベルマーレ)をいかに封じるかで西野監督は思案した。

 弾き出された答えはシステムを「4‐2‐3‐1」から、サンフレッチェと同じ「3‐6‐1」へ変更。そのうえでミキッチの対面に永井を配置し、スピードをもって相手の武器を相殺する戦い方だった。
 西野監督の狙いは、2‐0の初勝利とともに鮮やかに的中する。永井はミキッチを封じ込めただけでなく、自陣からカウンターを発動させて先制点もアシストしている。

 年代別の代表監督時代は理想と現実を最適のバランスで融合させながら、一度定めた戦い方に対して一切の妥協を許さない厳格な姿勢も貫いた。フロントから与えられた選手を、適材適所に配したチーム作りが求められるクラブチームの監督においては、特にグランパス時代に臨機応変さも見せている。

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最終更新:2018/10/1(月) 18:56
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