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道路の下から500年前の石畳 「真珠道」の一部発見 那覇市・識名坂

4/23(月) 6:10配信

沖縄タイムス

 那覇市繁多川(はんたがわ)・松城中学校そばの識名坂(シチナンダビラ)の道路改良工事現場で、約500年前の琉球王朝時代に造られた「真珠道(まだまみち)」の一部とみられる石畳が見つかったことが21日までに分かった。市は真珠道の可能性が高いとして、調査方法などを検討している。

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 真珠道は第二尚氏王統第3代・尚真王(在位1477~1527)の首里王府によって造られた軍用道路で、守礼門脇にあった「石門」から真玉橋までの約4キロが整備された。1553年には那覇港(現在の住吉町)までの約8キロに延長。石畳は坂道などで滑り止めとして使われていたという。

 金城町の石畳や、識名坂の南にある「前道(メーミチー)」も真珠道の一部。発見された石畳は識名坂の上部分で約15メートル。沖縄戦で所々破壊されたものの戦後も残っており、今回の工事でコンクリート舗装された道路の下から見つかった。

 那覇市歴史博物館の学芸員・外間政明さんは、繁多川地域は沖縄戦で北から攻めてきた米軍の砲弾が首里城などを越えて多く飛んできた地域で、石畳が残る金城町よりも被害が大きかったと説明。「砲弾が多く飛んだ場所でも石畳が残っていたこと自体も貴重。住民の記憶や記録にあった石畳の存在が確認できた」と意義を語った。

 子どもの頃に識名坂を歩いたという田場盛英さん(85)は「首里観音堂近くの家から、識名の墓に行くときに歩いた。きれいな石畳の道で、坂の雰囲気は今も変わらない。道の下に残っているとは知らなかった」と懐かしそうに話した。

最終更新:4/23(月) 7:45
沖縄タイムス

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