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広島の鉄人、衣笠祥雄氏が死去 ネットでは体調を心配する声が広がっていた

2018/4/24(火) 17:12配信

BuzzFeed Japan

レジェンドが死去

2215試合のプロ野球連続出場記録を持ち国民栄誉賞を受賞した元広島東洋カープの衣笠祥雄さんが4月23日、上行結腸がんのため死去した。スポーツ各紙が伝えた。【BuzzFeed News/貫洞欣寛】

衣笠さんは1965年に京都・平安高を卒業して広島に入団。俊足と強打、堅守の三拍子揃った選手に成長した。1975年のオールスター戦では、同僚の山本浩二と揃って2打席連続アベックホームランを放ち、地方の弱小球団だった広島の人気と実力を押し上げる立役者となった。

75年のリーグ初優勝から87年の引退までに、計5回のリーグ優勝と3度の日本一を広島にもたらした。山本浩二との「YK砲」は86本のアベックホームランを記録。これは王貞治・長嶋茂雄(巨人)の「ON砲(106本)」に次ぐ数だ。

骨折してもフルスイング

17年間休まず出場を続けるタフさと、常にフルスイングの姿勢でファンの心を引きつけた。

1979年には巨人戦で西本聖から死球を受け、左肩甲骨を骨折した。それでも翌日の試合に代打として出場し、すべてフルスイングして三振に倒れ、こう語ったことは、今も語り草だ。

「1球目はファンのため、2球目は自分のため、3球目は西本君のために振りました」
生涯成績は通算2543安打、504本塁打、266盗塁。通算本塁打数は張本勲と並ぶ日本歴代7位。1987年に引退すると、その背番号「3」は、広島の永久欠番となった。

異変を心配する声相次ぐ

衣笠さんは亡くなる直前まで、テレビでの野球解説などの仕事を続けていた。

最後の出演となった4月19日の横浜ー巨人戦では、声がかすれて聞き取りにくく、体調を心配する声が相次いでいた。

衣笠さんに対し、球界などから追悼の声が出ている。広島の元エース北別府学さんは「言葉もありません。衣笠祥雄さんとの思い出は沢山ありすぎるくらいです。すいません、まだ信じられなくて何も書けません」とツイート。

広島の切り込み隊長の異名をとった高橋慶彦さんは「衣笠さんが天に野球をしに行ってしまいました。大好き、素晴らしい先輩、いろいろな言葉が有ると想いますが、どんな言葉を探しても見つかりません、コメントをと言われましたが言葉で表すことが出来ません。言えることは私も野球をしにゆくのでその日まで待ってて下さいと言うことです」とツイートした。

広島が近鉄と戦った1979年日本シリーズは「江夏の21球」の伝説で知られる。その陰の立て役者は、衣笠さんだった。

広島の守護神としてマウンドに上がっていた江夏豊投手は1点リードの9回裏、無死満塁の危機を迎える。

古葉監督は投手二人をブルペンに走らせ、ウオーミングアップするように命じた。これを目にした江夏投手は「おれに最後まで任せないのか」と怒り、落ち着きを失う。

このとき、一塁からすっとマウンドに近づいてなだめたのが、親友の衣笠さんだった。江夏投手は気を取り直し、後続を三振に打ち取り、さらにスクイズを見破って絶体絶命のピンチを脱し、広島を初の日本一に導いた。

その江夏さんは日刊スポーツに「いいヤツを友人に持ったよ。オレの宝物だ。どっちみちワシもすぐ追い掛ける。向こうの世界で野球談議をするよ」と語った。

コージは「ありがとう」

衣笠さんと山本浩二さんとの「YK砲」は86本のアベックホームランを記録。これは王貞治・長嶋茂雄(巨人)の「ON砲(106本)」に次ぐ数だ。

長年の盟友でライバルだった山本浩二さんは、24日の読売テレビ「情報ライブ ミヤネ屋」に電話で生出演し、「3年ほど前、あまり(体調が)よくないと聞いていた」と述べ、「キヌがいたから、私も数字を残せたと思う。お互い張り合って成績を残せた。そういう意味で、本当にありがとうと言いたい」と話した。

Yoshihiro Kando

最終更新:2018/4/24(火) 18:56
BuzzFeed Japan

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