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五輪代表から「二度の転向」 転職時代に聞きたい!朝日健太郎さんを導いた「ぶれないセカンドキャリア論」

5/12(土) 7:00配信

withnews

 朝日健太郎さんは、バレーボール日本代表選手からビーチバレーに転向し、現在は国会議員として活動しています。大きなキャリアチェンジが成功できたのは、選手時代から守ってきた「軸」があったから。環境が変わっても、自分の中の一貫性を守って次のステップにつなげてきた朝日さん。転職が当たり前になった時代、朝日さんにとっての「セカンドキャリア」について聞きました。(ライター・小野ヒデコ)

【画像】「ライジング・サン」と呼ばれた男、エリート選手からの転向 朝日健太郎さん国会議員までの歩み

ビーチバレーの転向は、現状からの「脱出」

<朝日さんがバレーボールの道を選んだのは、あくまで「自己成長」の手段としてでした。唐突に見られがちな五輪代表というキャリアからビーチバレーへの転向。それは予定調和な人生からの「脱出」と、成功の見込みがあると判断しての決断だったと振り返ります>

 平昌五輪でも若い人が世界を舞台に戦っていましたよね。時々、若い選手と過去の自分を重ねてしまい、「本当に心がついてきているのかな」と心のケアやサポートについて心配してしまいます。

 僕がバレーボールをしているルーツは、バレーボール自体にはなく、あくまで自己成長の手段でした。若手の選手がインタビューで「幼少期から勝つことを目標にしてきた」というコメントを聞くと、「自分とは違うな」と思ってしまいます。

 2002年、ビーチバレーへの転向は、その当時の予定調和な状況からの「脱出」だったんです。「高みを目指ざす」という目標の中で、何もかもが順調すぎました。自分の熱量が冷めていき、周りとのモチベーションのギャップに苦しんでいた時でした。

 転向はチャレンジでしたが、バレーで培ったスキルを活かせる優位性と、国内での認知度はまだ低かったのでパイオニア性があると感じました。周りを騒がせるかもしれないけど、こういう人生設計も良いのではと思い、新たな道を進むことにしました。

ビーチバレー選手時代に身に着けた営業力

<ビーチバレーに転向した後、自らスポンサー探しなどで営業力も身につけたという朝日さん。自分の知名度を冷静に判断しながら、五輪出場という大舞台への切符を手に入れました>

 ビーチバレーに転向して変化したこと。その一つはスポンサー企業を探すことでした。6人制バレーの時は、純粋に練習や試合に集中すればよかった。ビーチバレーでは活動費を確保するために、選手が自らスポンサーを探さないといけない。

 練習をする一方で、営業する時間を作りました。まだ「朝日健太郎」のネームバリューがあり、話は聞いてもらいやすかったですね。この時の経験で、営業力や交渉力、自分を評価してもらうアピール力は身に付いたと思います。

 ビーチバレーのオリンピック出場枠は世界での順位で決まっていました。2008年に北京五輪に出場した当時は、世界ランキング上位24組のみが出場権を得られるという形でした。

 僕は白鳥勝浩さんとペアを組み、日本代表として、24番目の最後の五輪枠に入りました。日本ではまだビーチバレーが五輪に行くプロセスが開拓されていなかったので、五輪に出場できたという達成感はありましたね。

 4年後のロンドン五輪でも出場権を掴むのですが、その時は選手としてやっていく火が消えつつありました。次のキャリアを探し始めていましたね。ロンドン五輪出場後は完全燃焼したので、2012年の37歳の時に選手を引退しました。

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最終更新:5/12(土) 7:00
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