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【武藤敬司、さよならムーンサルトプレス〈31〉ひらめきで生まれたシャイニングウィザード】

5/9(水) 11:51配信

スポーツ報知

◆太陽ケア戦

 38歳になった武藤敬司は、2001年1月28日、東京ドームで全日本プロレスのリングに初めて上がった。対戦相手は太陽ケア。オファーを受けた時、「メリットを感じない」と拒絶した相手だったが、リングで肌を合わせると先入観は一変した。

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 「試合した時、太陽ケアって良かったんだよ。凄いいい選手でね。“いい選手だな、こいつ”って感じながら試合してたよ。その時、初めて全日本っていう団体に興味が出てきた。別に新日本じゃなくても“いい選手を育てられるんだな”って思った」

 それは新鮮な発見だった。さらに太陽ケアとの出会いで、新たな武器を手にした。シャイニングウィザードだ。

 「この試合でシャイニングウィーザードが初めて出た。ただ、狙って生まれたんじゃなくて、言わば偶然の産物なんだ。オレは、技の展開が早いから、ドラゴンスクリューを出して、早く次へ行きたかった。なのに、ケアが立ち上がらなくて、変な間ができたんだよ。“なんだこいつ早く立てよ”って、次に行きたいんだけどその間が待ちきれなくて、ちょうど、ケアがヒザを立てていたから、そこで、パンってとっさに出したのがシャイニングウィザードだった。狙って出したわけでもなかったけど、お客さんがウワァーって沸いたからこれは使えるなって思ったんだ」

◆ムーンサルトプレスへの影響

 今もなおフィニッシュホールドとして輝き続けているシャイニングウィザード。その誕生は、太陽ケアとの間にできた一瞬の間が産み出した。思えば、デビュー当初に出したムーンサルトプレスもそうだった。試合中のひらめきから必殺技に昇華していった。シャイニングウィザードも同じだった。すべては武藤のセンスが成せる技だった。ただ、当初は、技の名前は特別になく「変形ひざ蹴り」などと表現されていた。

 「そこから、何回か使ってテレビ朝日が技の名前を募集して、シャイニングウィザードに決まったんだ。今では、WWEでこの技が出ると、アナウンサーがシャイニングウィザードって言っているよ」

 新たな必殺技を獲得したことは、ムーンサルトプレスにも影響した。

 「当時は、膝が悪化して、徐々にムーンサルトプレスができなくなっていた。あの高田戦でドラゴンスクリューからの4の字が生まれて、2000年になってシャイニングウィザードが生まれて、これが生まれたと同時にどんどんムーンサルトプレスが減っていった。これは意図的じゃなかったんだけど、面白いもんで減れば減るほどムーンサルトプレスの希少価値が上がった」

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最終更新:5/12(土) 11:57
スポーツ報知