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犠牲者数万人、済州島「4.3事件」70周年慰霊の旅~(上)

5/11(金) 10:41配信

アジアプレス・ネットワーク

朝鮮半島の西南部に浮かぶ済州島で島民数万人が虐殺された「4.3事件」から4月3日で70年。現地では犠牲者の追悼式が営まれ、大阪からも「在日本済州4.3犠牲者遺族会」の呉光現(オ・クァンヒョン)会長が呼びかけた「70周年慰霊の旅」一行100人が参列した。半島の南側だけで総選挙を行うことは南北分断を固定化すると島民の一部が蜂起したことに端を発した惨劇。追悼式に出席した遺族や初めて里帰りした「朝鮮籍」の在日の人たち、北朝鮮のスパイにでっち上げられた元良心囚からは4月27日の南北首脳会談について融和や統一への期待の声が聞かれた。(矢野宏/新聞うずみ火)

◆国家による無差別虐殺

4月3日、島の中心にそびえ立つ漢拏山(ハルラサン)の中腹にある「済州4.3平和公園」。追悼式の会場は朝から初夏を思わせる陽光に包まれ、悲劇を体験した遺族を含む1万5000人あまりが参列した。

この日、文在寅(ムン・ジェイン)大統領は、2006年の盧武鉉(ノ・ムヒョン)氏以来12年ぶりに大統領として出席。文大統領は「国家権力の暴力によりあらゆる苦痛を与えたことに改めて深く謝罪する」と明言。「4.3事件の真実はいかなる勢力も否定することができない歴史の事実だ」と力強く宣言した。さらに、文大統領は事件の真相究明と犠牲者の名誉回復に努めることを約束し、こう言い添えた。

「済州島に春が来ています」

犠牲者の遺族として「大阪慰霊団」に参加した大阪市生野区の高春子(コ・チュンジャ)さん(76)も文大統領の言葉に心が癒された一人だ。

「ああ、これでおばあさんも、叔父さんたちも救われた気がします」

1945年8月15日、日本の敗戦は朝鮮半島が植民地支配から解放された日である。だがそれも束の間、朝鮮半島は北にソ連、南に米国と、38度線を境に分割統治される。
南側で単独選挙が実施されると分断が決定的になるとして反対する一部の島民が48年4月3日、武装蜂起する。米軍政側は「アカの島」とレッテルを貼り、鎮圧のために軍や警察などを島へ送り込んだ。

8月15日に韓国政府が、9月9日には北朝鮮が樹立し、韓国の李承晩(イ・スンマン)大統領は漢拏山にこもる島民に対し、これまで以上の武力鎮圧に乗り出す。「海岸線より5キロ以上の地域に出入りする人々を暴徒と見なし、無条件射殺する」という布告を発し、11月には島全土に戒厳令を敷いた上で山の麓の村々を焼き払う「焦土化作戦」を展開。山にこもった武装隊と無関係の島民たちも捕らえられて拷問を受けたり処刑されたりした。家族に行方不明者がいるだけで「反乱者」と見なされて皆殺しにされるなど、国家によるすさまじい暴力が島に吹き荒れた。

50年に勃発した朝鮮戦争で、島民たちはさらなる悲劇にさらされる。政府は4.3事件に関係したと思われる人たちを「予備検束」と称して拘束し「北朝鮮に協力する恐れがある」という理由で殺害。すでに本土の刑務所に収監されていた人たちまでも次々と処刑した。

国家による無差別虐殺は54年9月に漢拏山への入山規制が解けるまで続く。韓国政府の報告書では犠牲者を3万人と推定しているが、実際は7万とも8万とも言われ、今も遺骨の発掘が進められている。(続く)