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ベストヒットな男!!小林克也 「次はなに?」貧乏性のマドンナ エルトン・ジョンはインタビュアー泣かせ

5/18(金) 16:56配信

夕刊フジ

 【秘録 今明かす「あの時」】 

 1981年からスタートした音楽番組『ベストヒットUSA』でDJを続けている小林克也(77)。足かけ35年を超える番組だけに、取材した外国人ミュージシャンの話題もつきない。

 世界的なミュージシャン、マドンナ(59)の印象も強烈だ。

 「あの人はね、貧乏性というか、仕事熱心というか。有名な話では、録音スタジオに誰よりも早く入って、スタッフが着くのを待っているそうなんだよ。僕もね、それを目の当たりにしてね」

 彼女の出世曲「ライク・ア・ヴァージン」がヒットする前に、プロモーションで来日したときのことだ。

 「人気プロデューサーのジェリー・ビーンと来たかったそうだけど、彼が忙しく同行できなくて。すると彼女は途中で寄ったハワイで男の子をナンパして連れて来ちゃったんだよ」

 そんなマドンナだが、インタビューには、やはり早くスタジオ入りしたそうだ。

 「僕がスタジオに着くと、もうマドンナが来ているんだ。で、のぞいたらだだっ広いスタジオの真ん中にマドンナが一人で椅子に座ってて、周りのスタッフはまだセットの建て込みとか作業してるの。で、インタビューは『それで次はなに?』って感じで、効率よくやりたい人なんだね」

 インタビュアー泣かせなのは、英ロック歌手のエルトン・ジョン(71)だったという。もともと気が短いことで知られるエルトンだが、「好きな話だと食いついてくるんだけど、興味のない話は全然」。

 それでも「パンクロックがブームになったときは、ノイローゼっぽくなったと明かしてくれたんですよ。彼はメロディーメーカーだから、もう自分の時代は終わったという気持ちだったそうなんです。でも、最終的には“ショービジネス”なんだと割り切ったことで続けてこられたと話してくれました」

 そういうパンクロック界では、セックス・ピストルズのボーカリストだったジョン・ライドン(62)に会った。実は彼も“ショービズ”の人だったという。

 「インタビューを始めたら、あのギョロ目で、『パンク、パンクと言わないでほしい。本当のパンクはシド・ビシャス(ピストルズのベーシスト)1人だけだ』なんて言ってみたり。こっちも戸惑うよね。でも、インタビューが終わって部屋を出ようとすると、肩を抱いてきて『ごめんな』って。なら最初からそう言ってくれよって思いましたよ」

 そんな個性あふれるミュージシャンと接しながら、小林自身もまたアクの強いミュージシャンとして活躍する。それが「ザ・ナンバーワン・バンド」だった。

 今週はこのへんで、See you next week!=敬称略(つづく、福田哲士)

 ■小林克也(こばやし・かつや) DJ、ナレーター、タレント。1941年3月27日生まれ、77歳。広島県福山市出身。70年、ラジオのDJとしてデビュー。伊武雅刀らと手がけたラジオ番組「スネークマンショー」でブレーク。81年にスタートした音楽番組「ベストヒットUSA」は現在もBS朝日で放送中。82年に小林克也&ザ・ナンバーワン・バンドを結成。今年3月、25年ぶりのオリジナルアルバム「鯛 ~最後の晩餐~」を発表した。

最終更新:5/18(金) 16:56
夕刊フジ