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川崎簡宿火災3年 なお見えぬ真相 市主導の再開発に経営者ら困惑

5/18(金) 7:55配信

産経新聞

 川崎・日進町の簡易宿泊所(簡宿)火災で、宿泊者11人が死亡した惨事から17日で3年が経過した。現場周辺ではマンションの新設が進み、被災者らは川崎市の支援事業などによる転居で四散。当時を知る人はすでに少なく、惨事の風化が急速に進んでいる。焼失した2軒の簡宿「吉田屋」「よしの」の跡地付近や簡宿街を歩いていると、市の再開発の方針に困惑する経営者や宿泊者の現状が見えてきた。(外崎晃彦)

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 2軒があったエリアは川崎署をはじめ、学校や公園があり、マンションや団地が数多く並ぶ住宅街だ。下校中の小学生や携帯電話を手にした会社員、自転車の主婦らが行き交い、3年前の惨事が嘘のように平和な光景が広がっている。

 ◆「再発防止」旗印に

 日進町は町の中心を京急線が貫き、同じ町内でも線路を挟んで北側と南側で景色が大きく異なる。簡宿がひしめくいわゆる「日進町のドヤ(簡宿)街」は線路の北側で、焼失した2軒があったのは南側。火災は簡宿街で起きたと思われがちだが、実際は簡宿街の外で起きている。

 市によると、2軒の焼失で南側の町内に簡宿はもうない。一方、市が「惨事の再発防止」を旗印に規制や再開発に力を注ぐのは北側の簡宿街。地理的な「ねじれ」が生じている。

 2軒の火災は、距離の離れた北側の簡宿街にとってまさに対岸の火事だったが、火災をきっかけに市が再開発に乗り出したことは、簡宿経営者や管理人、宿泊者らにとって、対岸の火事では済まない皮肉な状況を招いたといえる。

 高度経済成長期に多くの労働者が宿泊した簡宿街。近年は老朽化が進み、多くの生活保護受給者が居住する混(こん)沌(とん)としたエリアだった。そのため「市は火災を奇貨として再開発に着手した」とみる関係者は少なくない。

 「行政は火災が起きたのをいいことに、おれたちを追い出そうとしている。火災やドヤの悪いイメージを早く消してしまいたいんだ」。50代の男性管理人はこう憤った。

 ◆失われる収入源

 火災以降、市は簡宿に長期宿泊する生活保護受給者を市内の賃貸住宅に移住させる支援策を展開している。簡宿の経営側にとっては、収入源の宿泊料が事実上、市の方針によって奪われる形になっているのだ。

 40代の男性経営者は「1泊1600円で、15人の滞在が採算ライン。近隣の廃業でいまは盛り返しているが、先は暗い」と嘆く。リノベーション(改装)も「収益を計算すると失敗が目に見える」と及び腰だ。

 市の相談を受けた地元企業が簡宿を買い取り、ゲストハウスとして再生させるなど、町内は再開発が進んでいる。ただ、経営者の高齢化も進み、改装よりも廃業を選ぶケースは多い。

 市の再開発への“圧力”と、見通せない将来のはざまで、経営者らには不安や閉塞(へいそく)感が渦巻いている。

 原因や責任あいまい

 宿泊者は、住み慣れた簡宿や既成のコミュニティーを離れるのを嫌う傾向があり、アパートへの転居が進まない側面もある。生活保護を受けながら3年ほど前からこの簡宿街に住んでいるという男性(75)は「荷物も多く、どこにも移りたくない。生きてもあと5年ぐらいだろうから…」と話し、簡宿をついのすみかとする予定だ。

 火災原因がはっきりしないことも、経営者や宿泊者の不安を助長している。市消防局は、火の回りの早さや現場の状況から放火と断定しているが、県警は放火と失火の両方の可能性を残しており、双方の主張は火災から3年がたついまもなお平行線だ。

 川崎簡宿火災は原因や責任の所在がはっきりせず、被災した宿泊者の四散と、簡宿の廃業、再開発促進という形で、教訓も見えにくいまま風化が進んでいる。

最終更新:5/18(金) 7:55
産経新聞