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西城さん 絶唱、激しいアクションで歌謡曲変えた 後進に多大な影響

5/18(金) 8:15配信

スポニチアネックス

 ◇西城秀樹さん死去

 父親の影響で幼少期から洋楽に親しんだ西城さん。72年にデビューすると、ロッド・スチュワートやジャニス・ジョプリンらに影響された「絶唱型」と呼ばれるワイルドな歌唱法を考案。1メートル80を超える長身、長い髪を振り乱しながら歌うスタイルで、「甘い声が当たり前だった男性アイドルの世界に、初めて野性味とセクシーさを持ち込んだ」(音楽関係者)。

 「情熱の嵐」で♪君が望むなら――と歌ったあと「ヒデキ~!」と観客の合いの手が入ることを意識した曲作りや、華麗なマイクさばきでもファンを魅了。「ヤングマン」で「YMCA」の4文字を全身で表す振り付けなど、テレビの視聴者をも巻き込む双方向性は「同時期に活躍したピンク・レディーとともに歌謡曲のあり方を変えた」(音楽評論家)と高い評価を受けている。

 激しいアクションを伴うド派手なライブも伝説的。日本で初となるスタジアムでのワンマン・コンサートを74年に大阪球場で開催。以後、東京・後楽園球場で最多4度のコンサートを行った。

 大規模な野外会場ならではの大掛かりな仕掛けも次々と披露。クレーンで数十メートル上空につり上げたゴンドラや、巨大な風船につかまり天高く舞い上がるなど、当時の金額で億単位という費用をかけた。赤字覚悟の姿勢は、ライブ製作に携わった関連会社が1社倒産したほど。現在では一般的なレーザー光線を使った演出やペンライトの使用の元祖ともされる。

 68年にザ・タイガースが日本人バンドとして初めて公演した東京・日本武道館に、75年にソロ歌手で初めて進出。その後、11年連続で公演を敢行した。

 70~80年代アイドルの人気の指標だったブロマイドの売り上げもダントツ。“聖地”と呼ばれた東京・浅草「マルベル堂」で、月間売り上げ第1位を歴代最多の46回も獲得。75、76年には2年連続年間1位になった。

 その実力と感性の高さ、カリスマ性は河村隆一(47)やGACKT(44)、ゴールデンボンバーの鬼龍院翔(33)ら多くの後進に多大な影響を与えている。