ここから本文です

日本エンタメは太陽を失った/西城さん担当記者悼む

5/18(金) 8:20配信

日刊スポーツ

 「傷だらけのローラ」「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」などのヒット曲で知られ、ドラマやバラエティー番組でも活躍した歌手の西城秀樹(さいじょう・ひでき)さん(本名・木本龍雄=きもと・たつお)が16日午後11時53分、急性心不全のため横浜市内の病院で死去したことが17日、分かった。63歳。葬儀・告別式は26日に東京・青山葬儀所で営まれる。

【写真】やさしく微笑む西城秀樹さん(09年4月撮影)

【音楽担当記者悼む】

 <歌詞>太陽に向かい 歩いてるかぎり 影をふむことはない そう信じて生きている

 秀樹さんの名曲「若き獅子たち」(作詞・阿久悠、作曲・三木たかし)の歌詞。常に前を見て、挑戦し続けた秀樹さんの生きざまであり、日本のエンターテインメントは、間違いなく、太陽を失った。

 音楽の世界で今では「普通」の数々は、秀樹さんが元祖である。72年に「ワイルドな17歳」のキャッチフレーズでデビューすると、長身を生かした派手なアクションと絶叫歌唱で魅了した。音楽は「聴かせる」から「見せる」にシフトした。「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」(79年)では、自ら考えた振りを一緒に行う観客参加のスタイルを生んだ。

 「薔薇の鎖」(74年)では、アルミで軽量化された特注のスタンドマイクを振り回すパフォーマンスを披露した。以後、ロック歌手を中心に定番となった。スタジアムライブも秀樹さんが初めて大阪球場で行った。ライブ直前にラジオ番組で「(演出のため)懐中電灯を持参して」と呼びかけたことが、ペンライトの誕生につながった。

 75年には日本武道館で、日本人ソロアーティスト初のコンサートを開催。80年の後楽園球場のライブでは40メートル以上のクレーン車で登場する演出に初挑戦した。87年に同球場で日本初公演を行った故マイケル・ジャクソンさんのスタッフが「西城のスタッフを借りたい」と申し出た。

 74年に「傷だらけのローラ」でNHK紅白歌合戦に初出場した際、番組史上初のアイマスク着用で登場した。初出場歌手が顔を隠すのは異例だった。さらに二酸化炭素のボンベから白煙を噴き上げる演出も紅白史上初で度肝を抜いた。

 かつて「僕は洋楽も大好きで、いろいろと参考にしました。日本でもやったら面白いんじゃないというものを、すべて僕発でやりたかったんです」と話していた。

 太陽のように明るく、気配りの人でもあった。ホテルでの誕生会に呼ばれた際、新参者の私は離れた席に1人で座っていた。そんな私を見つけた秀樹さんは重鎮の方々との談笑を中断して、隣の席に座り「いつもこんな感じです。気楽に楽しんでくださいね」と話しかけてくれた。01年の結婚披露宴では、引き出物の1つは、秀樹さんがCM出演していた「バーモントカレー」(ハウス食品)。パッケージには新婦と2人の写真が印刷され「超甘口」と書かれていた。「いい記念ですね」と言うと、自慢げにウインクしてくれた。

 前向きさは脳梗塞で倒れた後も変わらない。ヘレン・ケラーや松下幸之助氏の本を音読して言語障害のリハビリに努めた。

 秀樹さんから、もう何年も必ず自宅にバースデーカードが届く。私の誕生日は5月31日。2週間後、ポストを確認するのがつらい。【笹森文彦】

最終更新:5/18(金) 8:36
日刊スポーツ