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「両手がちぎれる悪夢」「娘は生涯苦しむだろう」 米軍機墜落の宮森小、負傷者の知られざる苦悩

5/18(金) 9:40配信

沖縄タイムス

 米軍施政下の1959年6月30日に沖縄県うるま市石川の宮森小学校や周辺住宅地に米軍戦闘機が墜落した事故で、けがを負った人とその家族が、事故後の精神的な苦しみを琉球政府と琉球列島米国民政府(USCAR)の聞き取り調査に訴えていたことが分かった。全身やけどを負った女子児童=事故当時(9)=の父親は事故1年後に「娘は、両手がばらばらになってちぎれる悪夢を見て夜中に時々叫び声を上げている」と証言している。(中部報道部・大城志織)

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米公文書で明らかに

 NPO法人石川・宮森630会が入手した米国立公文書館などの資料で初めて明らかになった。資料は事故直後の59年7月1日から61年10月13日までに米国側が作成。大部分は米陸軍病院に通っていた事故当時2~31歳の負傷者32人の治療経過を記録した医療報告書や賠償に関する内容だ。

 630会によると、事故直後に負傷者の話は新聞などで報道されたが、その後はほとんど表に出ていない。久高政治会長は「声をしっかりと受け止めて拾い上げ、こうした状況にあったのだと明らかにしていきたい」と強調する。

 公文書は2016年12月にNPO法人沖縄東アジア研究センターの戸部和夫理事長から630会が提供を受けたUSCAR関係文書約2千枚と、県公文書館所蔵の約150枚。報告書では、両手足や顔などに大やけどを負った男子児童=同(8)=の家族が「他の子から笑われ学校から帰ると泣いている」と吐露している。

 事故から今年で59年になるが、賠償金の交渉過程などいまだに明かされていない事実も多い。630会は解明に向けて17年6月に翻訳の編集委員会を立ち上げ、今年5月に会議を開き、翻訳作業に本格的に着手。来春の出版を目指して実態解明を進める。

 翻訳監修者で沖縄戦研究者の保坂廣志氏は「事故の負傷者の声は当時のメディアを含めてこれまでほとんど触れられていない。記録は少ないが、家族や子どもたちの悲痛な痛みを可視化し、伝えることが重要だ」と意義を語った。

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最終更新:5/18(金) 15:45
沖縄タイムス