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伊藤達哉はどうブレイクを果たしたのか?4部から古豪HSVの光となるまで…

5/28(月) 11:50配信

GOAL

ここまでの道のり…

伊藤達哉は今季のブンデスリーガに突如として現れた新星だった。9月末に1部デビューを果たすと、20試合に出場し、4アシストをマーク。第33節には自らネットを揺らしたがビデオ判定の結果得点は認められず、初ゴールはならなかった。しかし、終盤は残留争いに苦しむチームのキーマンとなり、ハンブルクのメディアから日本代表入りを推されるようになるほどの存在感を発揮した。

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そもそも伊藤はどのようにしてブンデス1部の舞台にたどり着いたのだろうか?小学生から柏レイソルの下部組織でプレーしていた伊藤は、UAEで行われた大会でMVPに輝いた。その活躍が認められ、2015年の夏にハンブルガーSVの下部組織へ移籍。U-19で順調なスタートを切ったかに思えたが、9月中旬にひざを負傷しシーズンのほとんどを棒に振ることになった。

しかし、翌シーズンは4部リーグに所属する若手主体のセカンドチームに昇格。序盤はなかなか出場機会を得られなかったが、終盤には先発の座をつかみ取った。そして今シーズン、開幕からセカンドチームでアシストを積み上げていた伊藤に当時トップチームを率いていたマルクス・ギスドル監督が目を付ける。第5節ドルトムント戦でトップチームのメンバー入りすると、翌節のレヴァークーゼン戦で82分にブンデス1部デビューを果たした。

そして続くホームのブレーメン戦で先発に名を連ねると、160cm台前半の小さな体で大きなDFたちを次々とドリブルで抜き去り、大きなインパクトを残した。後半の立ち上がりに痙攣を起こし、53分にピッチを後にしたが、この小さな日本人は一瞬にしてハンブルクの人々を虜にした。

「何という先発デビューだ!ブンデスリーガで最も小さい選手はチームにフレッシュさを持ち込み、左サイドの攻撃に自信をもたらした。彼の1対1はフォルクスパルク・シュタディオン(ハンブルクのホームスタジアム)ではメーディ・マハダビキア(1999年から2007年までハンブルクでプレーしたイラン代表MF)以来見たことのないものだった。痙攣で交代となった際は大きな拍手で送られた」と地元紙『ハンブルガー・アーベントブラット』は興奮気味に記した。

その後も安定してプレー機会を確保していた伊藤だが、1月末にホラーバッハ監督が就任するとメンバーから外れる日々が続くことに。しかし、セカンドチームを率いていたティッツ監督が3月に内部昇格すると、再び状況は大きく変わる。伊藤をよく知るティッツ監督は背番号43に自由を与え、攻撃のスイッチを入れる役割を授けた。すると3-2で勝利した2位シャルケとの一戦で初アシストを決め、シャルケのテデスコ監督をして「我々はあの若者を止めることができなかった。彼は素晴らしかった」と言わしめた。翌日、ハンブルクのファンショップは品切れとなった伊藤の43番の背番号を追加発注しなければならなかった。

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最終更新:5/28(月) 18:13
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