ここから本文です

鈴久に売り向かって敗北 旧藩主におわびの割腹死 片野重久(中)

6/22(金) 15:40配信 有料

THE PAGE

 教育者から実業家となった片野重久は株式投資において、二度の大敗で責任を取って死を選びました。一度目は鈴木久五郎(通称鈴久)との対決で、二度目は京浜電鉄株の買収でした。片野の大胆な投資はどのように進められていったのでしょうか? 市場経済研究所の鍋島高明さんが解説します。


  買い占める鈴久と売り向かう片野 同じ結果と異なる末路

 片野重久は東米理事長の顔と京浜電鉄常務の顔を併せ持つと同時に相場師としての顔も持っていた。片野が京浜電鉄常務に昇進する明治39年ころは空前の株式ブームで兜町は沸き返っていた。当時の株式取引所は、日露戦勝景気の真っ最中で、成り金第1号といわれた鈴木久五郎(通称鈴久)の株買い占めが起こっていた。

 「鈴久は埼玉県粕壁(春日部)の素封家に生まれ、兄久右衛門が経営する鈴木銀行の東京支店長であったが、当時鈴久は株価の急上昇に乗って勝運に恵まれていた。明治39年秋には鐘紡株を買い進んで、その経営権を握るに至り、さらに東株(東京株式取引所株)をも買いあおっていた。これに対し、売り方針で向かっていたのが片野だった。片野は日清戦争後の波乱相場を経験していたので、日露戦争後も好況が長く続くはずはないと考えていたのである」(石田朗著『戦前の理事長』)

   本文:2,213文字 この記事の続きをお読みいただくには、THE PAGE プラスの購入が必要です。

サービスの概要を必ずお読みいただき、同意の上、ご購入ください。 購入した記事は購読一覧で確認できます。

  • 通常価格:
    648円/月(初月無料)
    会員価格会員価格:
    540円/月(初月無料)

THE PAGE プラスの記事一覧へ戻る

最終更新:10/2(火) 14:55
THE PAGE

あなたにおすすめの記事