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「歴史を消してはならない、私に見えた経営史を残した」

6/1(金) 10:00配信

ニュースソクラ

【ニュースソクラ編集長インタビュー】「経営者」を出版した永野健二氏に聞く

 日本経済新聞社証券部の記者、日経ビジネスの編集長などで経済ジャーナリストとして活躍した永野健二さんが、『経営者 日本経済生き残りをかけた闘い』(新潮社)を5月25日に出版した。自らの取材経験を踏まえた「秘話」を各章に織り込みながら、戦後を代表する経営者17人を一章ごとに取り上げている。

 おのおのの経営者の哲学、生きざまを縦糸に、それらの経営者が育てた会社の戦後経済史における意味を横糸にして織りなす300ページ。今後の日本経済を考える上での示唆が数多い。著作への思いを聞いた。(聞き手はニュースソクラ編集長、土屋直也)

 ーー本書は「序」のタイトルが「日本を支えた『渋沢資本主義』」ですね。本書でとりあげた経営者は濃淡はあっても渋沢資本主義の影響の下で経営をしていたとお考えなのでしょう。そして、渋沢栄一さんの弟子にあたる経営者たちを攻撃した、鐘淵紡績(後のカネボウ)の武藤山治さんを第一章で取り上げますね。

 武藤さんの(渋沢栄一さんの弟子経営者の集まりである)「番町会」攻撃と帝人事件(冤罪だった)を取り上げたのは、この本の底流に流れる「渋沢資本主義」を史実として理解していただくには、ここから入るしかないと思ったからです。

 この章の後半で扱っているカネボウの社長・会長だった伊藤淳二さんについてはきっちりとした歴史的評価を下したいとかねて思っていました。私が日経新聞に入社したのは1973年ですが、そのころから、証券部の先輩記者、吉村光威さんは、「いずれ、カネボウは粉飾決算で倒れることになる」と語っていました。実際に2005年にそうなったわけです。

 カネボウの最後の社長だった、帆足隆元氏がインタビューで、自分を引き上げてくれた伊藤氏に対して怨念を込めて語っています。そこが、これまでメディアでは、あまりはっきりとは書き残されてはいないんです。

 カネボウに限らず、経済記者として、私しか知らない事実もあるし、私の視点だから見えるものもあります。そうしたことを歴史に残さないとならないという気持ちがとても強くなり、本書を執筆しました。

 ーー本書を読めばわかるのでしょうが、ソクラ読者のために、渋沢資本主義とは何か、ご説明いただけますか。

 日本的な経営の底流に渋沢栄一さんの渋沢イズムと言うようなものが流れていると感じることが多く、「渋沢資本主義」ということを私が言い出しました。渋沢は幕末を生き抜いた上で井上大蔵卿の下で為替制度や、取引所制度などあらゆるものを作っています。

 株式会社制度も作った上で、王子製紙など多くの会社を設立しています。よく言われている通り、日本資本主義の父です。ただし、アングロサクソン型の資本主義とは似て非なるものを作り上げました。

 それが日本では戦後も脈々と流れていたのではないか。官よりは民に基軸を置きつつ、資本主義についてよく考えている人だなと思っています。

 編集者の内山淳介さんの意見なども取り入れながら、戦前までの渋沢資本主義を前期、戦後からバブルまでの時期を後期渋沢資本主義としています。実は、新潮社のフォーサイト誌(現在はネット版のみ)で1998年ごろから3年位、ペンネームで「さらば渋沢資本主義」という連載をしていました。

 戦前の渋沢資本主義が人が作るものだったのに対し、戦後の渋沢資本主義はシステムというか、個人が集団と連携して作り上げていったものだったのです。日本システムと言われるものは渋沢資本主義に連なるものと思っています。

 1970年代のニクソンショックを契機とし、グローバリゼーションが定着していくのですが、その進行過程で日本システムは変わりきれず、そのまま1980年代まで行ってしまった。その結果がバブルであり、その崩壊だった、というのが前著『バブル』のテーマでした。

 そうなると重要なのはその後の失われた10年あるいは20年と言われる時期の問題です。そこは前著ではあまり触れなかったが、現代につながるところです。前著「バブル」を振り返ってみると、前提条件が壊れていたのにもかかわらず日本経済が歪んだ発展をし、バブルにつながった。

 それが壊れた過程も書く必要があると思ったのが、執筆のもうひとつの動機です。本のタイトルも「渋沢資本主義」にしようかと思ったほどなのです。

 実際に書く段階では、前著と同様に徹底したファクトとミクロに徹しているつもりですが、底に流れるものは「渋沢資本主義」なのです。

 ーー永野さんはいまも市場原理主義者なのですか。

 転向したつもりはありませんが、もともと「市場原理」・主義者であって、「市場」・原理主義者では無いのです。日本における土地の含み益の問題点などを意識しながら、オープンな市場主義がグローバリゼーションの中の当時の日本にとっては必要だと思っていました。私のいた日本経済新聞社証券部は市場主義、オープンな資本主義への移行を主張の基軸に据える部署でしたが、私はその急先鋒でした。1980年代はそれを掲げることに説得力があったのです。

 市場の機能を使わない経済システムはないのです。そういう意味で「市場原理」・主義者なのです。経済的合理性やシステムの合理性は維持していかなければなりません。間違えてはならないのは、市場が全てを解決できるという事は無いのです。たとえば、再配分の問題を市場は解消してはくれません。

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最終更新:6/1(金) 17:09
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