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元プロボクサー薬師寺保栄さん 筋トレ重ねマッチョマンに

6/11(月) 9:26配信

日刊ゲンダイDIGITAL

 華麗な足さばきと鋭い右ストレートを武器に、1990年代前半のプロボクシング界を席巻した元WBC世界バンタム級チャンピオンの薬師寺保栄さん(49)。94年12月には、好戦的なファイトスタイルとビッグマウスで熱狂的人気を誇った“浪速のジョー”辰吉丈一郎さん(48)との激闘を制し、ファンを魅了した。さて、今どうしているのか。

 取材で訪れたのは名古屋市営地下鉄・新栄町駅から徒歩5分の薬師寺ボクシングジム。待つこと数分、「ごめんごめん!」と言いながら、洗濯物を抱えた薬師寺さんが現れた。肌は黒光りし、カラダは筋骨隆々だ。

「僕がボテボテに太っていたら誰もジムに来ないと思うんです。現役時代は6、7キロ減量し、バンタム級の53・5キロで試合に臨んでいましたが、今は、当時禁止されていた筋トレをやってます。体重70~71キロで体脂肪率14%くらい。3年前には、ボディービル大会への出場をオファーされました。でも『減量して65キロの階級で出ましょう』と言われて『絶対やらん!』って断りましたよ。減量なんて、二度としたくないですね(笑い)」

 今はタレントとしてバラエティー番組を中心に活動する一方、2007年にオープンした同ジムの会長を務め、ボクサーの育成にあたっている。とはいえ、当初はジムの選手たちが勝てず、連戦連敗だったという。

「どうして勝てんのか、悩んだ末に気づいたのが、マッチメークでした。本来なら、選手がその時に対戦するのに一番ふさわしい相手を選ばないといけない。なのに、相手のリクエストにばっかり応えてたんです。試合を組むのは大事な仕事だと痛感しました」

 現在、ジムでは昨年のスーパーフェザー級新人王に輝いた森武蔵選手(6戦6勝5KO)ら有望株が育ってきている。薬師寺さんは「将来、世界王者になってくれれば」と期待を寄せる。

■「チキンハート」と呼ばれた時期も

 さて、大分県津久見市出身の薬師寺さんは、愛知県小牧市に引っ越して学生時代を過ごす。中学3年の時に、アマチュアボクサーの父親の影響と「ケンカで強くなりたい」という思いからボクシングの道へ。享栄高校ボクシング部では26戦21勝5敗9RSC(レフェリー・ストップ・コンテスト)の戦績を残し、卒業後、松田ボクシングジムに入門。1987年にプロとしてデビューした。

 しかし、打っては退くファイトスタイルから「チキンハート」と揶揄され、薬師寺さん自身も「なんてことない選手だった」と振り返る。

 転機のひとつとなったのは、2勝1敗で迎えた4戦目。当時、新人王を獲得して格上の岡部繁選手(元日本バンタム級王者)との対戦だった。判定の末に惜敗したが、「アイツが日本ランク9位で7戦7勝5KOなら、オレも頑張ったら日本チャンプになれるかも」と練習に一層身が入った。

 以降、現役最後の世界王者防衛戦で敗れるまで“無敗街道”を歩んだ。

 95年に引退後はタレントとして精力的に活動。プライベートでは2012年に前妻と離婚し、14年には約1億3000万円の投資詐欺被害に遭ったことでも話題になったが、15年に18歳下の一般女性と再婚。「新しい子供を授かり、10月に生まれる予定」と笑みをこぼす。

■辰吉戦のお値段は・・・

 薬師寺さんといえば、今も語り継がれるのが辰吉さんとのWBC世界バンタム級王座統一戦だ。国内最速(当時)のプロ8戦目で世界王者となり、カリスマ的人気を集めた辰吉さんはこの時期、網膜剥離で引退危機にひんしていたが、手術に成功して戦線復帰。薬師寺さんは辰吉さんがいない間に君臨した王者として、辰吉さんは暫定王者として対峙した。

 世界戦における初の日本人対決として注目される中、2人は12ラウンドの最後まで激しく打ち合う“死闘”を繰り広げ、判定の末に薬師寺さんが勝利した。ボクシングファンにとっては「伝説の一戦」である。

「まさか、ずっとこの試合の話をするなんて思わなかったですね。で、その映像がさ、この24年間で何回放送されたことか! あの時、CBCと1000万円で(映像権利などを含めた)契約したけど、あれ、サインしなかったら1秒間あたり9万円が入ってきてエライことになってた。年金いらないですよね」

 薬師寺さん、後悔を口にしつつも笑っていた。

 (取材・文 桜井恒二)