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体育会系組織、「社会感覚欠如」への処方箋は人材投入にあり

6/13(水) 11:31配信

SankeiBiz

 日本大学アメリカンフットボール部の問題が沸騰する中、5月31日に日本レスリング協会の公式ホームページ上に「【特集】世界一を目指す選手との間に乖離(かいり)なし! 明治杯での10階級制覇を目指す、至学館大・栄和人監督」と栄氏を指導者として絶賛する記事が掲載された。だが、栄氏は「パワハラ認定」され強化本部長を辞任しており、外部からの指摘を受けて削除するという失態を演じた。この日は、同協会が内閣府への改善策などの報告書を提出する期限とされている日だった。(GBL研究所理事・宮田正樹)

 ◆前近代的意識の塊

 「懲りない」というか「暗愚」というか、開いた口がふさがらない。これが日本の「体育会系」組織のレベルなのだろう。日大アメフット部および日大の経営組織、日本レスリング協会など「親分子分」「年功序列」「上意下達」「身内意識」「御恩と奉公」といった前近代的意識で固まった組織を見ているとスポーツというより体育会系という言葉がふさわしいように思われる。

 日本レスリング協会に限らず、日本相撲協会、全日本柔道連盟(女子柔道強化選手への暴力問題)など、近年不祥事を起こすだけでなく、その対応で醜態をさらすスポーツ組織・団体に見られる体質が、体育会系の異様な縦関係である。

 トップから末端まで当該スポーツのOBが連なる組織に近代的な統治が機能する余地はない。名誉職として役員に就く者を除いては社会経験・常識を身につけた人材に乏しい組織が、権力と金(寄付金、補助金など)を握り続けて腐敗・劣化しない方が不思議である。このような日本のスポーツ競技連盟、協会および各都道府県の体育協会を統括する団体であった「日本体育協会」が、昨年6月23日に「日本スポーツ協会」とその名称を変更することを発表し、栄氏のパワハラ問題発覚直後の今年4月から正式に日本スポーツ協会と名乗っている。

 日本スポーツ協会は、1911年、初代会長の嘉納治五郎氏がオリンピック競技大会への参加を念頭においた組織体制を整備するため創設した「大日本体育協会」を前身とする。戦後、48年に「日本体育協会」と改称された後、今般の改称に至った。

 嘉納氏が考えていた体育の概念は、国民の身体形成とそれぞれの人生の目的への適合を目指しつつ、力の充実や融和協調という当時の深刻化する時局が求める精神を涵養(かんよう)し、究極的には人格の完成を目指す教育的営為であったとされる。当時、体育という言葉は日本伝来の武術、遊山、舞踊などに加え、舶来のスポーツを含むという広義の意味を持つものと理解され、使用されていたとされる。

 現在では、スポーツは競技として行うものだけでなく、健康維持のための運動、古来、人々に親しまれてきた伝統的なスポーツなども含む。体育や身体活動の概念を包摂しているものと考えられるようになったので、2020年の東京オリンピックも見据え、体育からスポーツへ名称を変更する、というのが同協会の名称変更の趣意書が述べるところである。

 しかし、日本の体育には、各種のスポーツ(特に陸上競技、体操、水泳)が、兵隊の訓練や、兵士予備軍としての男子学生生徒の心身を鍛練(たんれん)する手段として活用されるようになったという「当時の深刻化する時局が求める精神」があったことも事実である。

 ◆人心の刷新推進を

 その流れにより、誰もが自発的に行うスポーツよりも、体育教育で実施されている、やらせなければならない体育の方がはるかに浸透し、スポーツは指導者・先輩の命令に従って行うものだという常識を引きずっている。それが体育会系の体質を生む土壌であり、それをそのまま人間ごと持ち込んだ組織が各種スポーツ協会や競技連盟の多くに見られる。

 自己の名称を変えることより、日本のスポーツ組織に社会人として訓練を受け常識を持った人材を投入することの方が、日本スポーツ協会が優先して主導すべきことだ。今からでも遅くない。自らを含め、体育会系の身内から常識のある社会人へと人心の刷新を進めてほしい。

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【プロフィル】宮田正樹

 みやた・まさき 阪大法卒。1971年伊藤忠商事入社。2000年日本製鋼所。法務専門部長を経て、12年から現職。二松学舎大学大学院(企業法務)と帝京大学(スポーツ法)で非常勤講師を務めた。

最終更新:6/13(水) 11:31
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