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「怒り」をどう取り扱うか 匿名社会の鬱憤ばらしにならないように

6/13(水) 15:01配信

BuzzFeed Japan

いつの間にか「空気を読む」段階から、その前に強者が醸し出す「気配」に身を委ねてしまっている私たち。3回目は、それに対抗する手段としての「怒り」について、掘り下げます。【BuzzFeed Japan Medical / 岩永直子】

「個人の怒り」と鬱憤ばらしの怒り

(「空気を読む」「気配に従う」ことへの対抗手段として、繰り返し、個人が怒りを表明し続けることを訴えていらっしゃいます。しかし、怒りも様々で、自分が主体的に抱いた怒りもあれば、誰かの怒りに便乗した怒りもあります。最近起きた、弁護士への大量懲戒請求の問題はどう受け止められましたか?)

懲戒請求した人たちに対し、損害賠償請求や刑事告訴などの法的措置がとられるかも、とわかった時の動揺は、やはり、自分の投げる文句が、絶対に自分に返ってこないという前提の下で放たれていたんだなということを明らかにしましたね。

人を批判したり、人にものを言う時は、こちらにもダメージが生じるかもしれないと思いながら書きます。どんな会議であろうが、親との会話であろうが、何かの話題に関して批判的な見解を投げるということは自分に返ってくる覚悟が前提です。

そうか、それすら怖がる人が石を投げていたんだなと、わかっていたことではありましたが、本当に明らかになってしまいました。

(先日の政治学者の栗原康さんと5月24日に行った対談でも、「怒りを権力者の特権にするのではなく、個々の人が怒るべきだ」とおっしゃっていました。一方で、ネット社会では報われていないと感じている匿名の誰かが、誰かを引きずり下ろすために表明する怒りも多いです。内閣府の「国政モニター」にヘイトスピーチ的な意見が掲載されていた問題もそうですが、それが権力者に利用されることさえあります)

そうですね。個というのは「わたくしである」ということが最低条件ですから、「わたくし」というものがないならば、「個の意見」を装っていてはいけない。コレはオレの意見だが名は名乗らない、って奇妙です。もちろん、先日のテレビ朝日記者のセクハラ告発のように、いたずらなプライバシーの暴露や個人攻撃から身を守るために名前を出さない、との判断は別です。

きちんと名前を名乗るかどうかで「わたくし」かどうかを判別できるし、一方で、匿名の殴り書きを「個の意見」として認定してはいけないですね。でもそういった条件を絶対条件にすると、一昨年に話題になったブログ「保育園落ちた日本死ね!!!」も「匿名じゃん」で片づけられてしまうのが難しいところですが。

(最近、武田さんは「私怨」が大事だと色々なところで表明されています。ただ、「私怨」はきちんと取り扱わないと、個人的な恨みで人を切りつけるネガティブな動きにもなり、危険だとも思います)

「私怨」という言葉は、先日、尊敬する作家の桐野夏生さんと対談した折に、桐野さんが象徴的に何度か語られていた言葉です。匿名のクレームではなく、怒る「私」であれ、とおっしゃっていた。

「私怨取り扱い説明書」があって、テストを受けて「私怨許可証」を貰うわけではないので、私怨を、匿名の恨みつらみとどう区分けしていくかはなかなか難しい。

ただし、顔の見える「わたくし」の私怨を出していかないと、真っ当な私怨が匿名のクレームに乗っ取られてしまいます。大きなメディアがとにかく「ネットの意見」に引っ張られていますが、これではパブリックな見解と、匿名のクレームだけが残ることになってしまいます。

内閣府の「国政モニター」の問題などは、パブリックな見解と匿名のクレームが合体しながら、国家プロジェクトとして機能してしまった感があります。その時に、「わたくし」が「おかしいだろ」と告げるのが大事になってくる。

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最終更新:6/13(水) 15:01
BuzzFeed Japan