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北東アジア非核構想20年超、米朝首脳会談に特別な思い 初代長崎大核廃絶研究センター長、被爆地から発信

6/13(水) 11:50配信

西日本新聞

 「朝鮮半島の非核化」をうたった史上初の米朝首脳会談を、特別な思いで見つめた。20年以上前、半島と日本を含む「北東アジア非核兵器地帯構想」を初めて提唱した長崎大核兵器廃絶研究センター(長崎市、RECNA)の初代センター長、梅林宏道さん(80)=横浜市。当時は「夢物語」と相手にされなかった構想。米朝首脳の言葉や宣言になお懸念は残るが、構想の生みの親は、それでも「前進」を信じる。

 東京大大学院で応用物理学を学んだ梅林氏が平和や核問題に関心を持ったきっかけは、1970年代に深刻化したベトナム戦争。80年代の米艦船の核持ち込み疑惑後は、核廃絶運動や在日米軍の研究も進めた。

 北朝鮮の核開発凍結をうたった94年の米朝枠組み合意から間もなくのこと。「アジアに住む当事国の人間として、より現実的な非核の仕組みがないか」。考えた結果、96年に北東アジア非核兵器地帯構想を、論文などで提唱した。

「実現性は低い」当時の反応は鈍く

 梅林氏は日本、韓国、北朝鮮を非核兵器地帯とし、核兵器を持つ米国、中国、ロシアが地帯内に核攻撃しないと確約する「スリー・プラス・スリー」という枠組みを初めて提示。しかし専門家の多くは「実現性は低い」と反応は鈍かった。

 研究と主張は続けた。98年に軍事問題を調査、研究する市民団体「ピースデポ」を設立。市民団体などと交流する中で、元長崎大学長で被爆者の土山秀夫氏=昨年9月死去=と出会った。「理詰めの議論と市民運動を一体にした土山さんとの出会いが、構想の転機になった」と振り返る。

 意気投合し、土山氏が開設に尽力したRECNAの初代センター長に2012年、抜てきされ、構想を訴えた。若手研究者も引き継いで構想を発信し続け、国内外に知られるようになった。8月9日の平和祈念式典で長崎市長が読む「平和宣言」では、毎年欠かさず構想の実現が盛り込まれる。

「機運が高まる今こそ、そう願う」

 RECNA客員教授となった今、梅林氏は実感する。「構想が被爆地のメッセージとして出続けることが大きな力になる。機運が高まる今こそ、そう願う」

 米朝首脳会談は、非核化の時期に触れなかった。梅林氏も「具体的な方法論をどう詰めていくか語られなかったのが気がかり」と不安を口にしつつ、「米朝首脳が非核化を確約したのは大きな前進」とみる。

 実現の鍵は何か。「核の傘にとどまり、圧力政策を続ければ、構想の最大の障壁になる」。地域の平和と核危機を見つめ続ける研究者は、日本にも覚悟を突き付ける。

世界の主な「非核兵器地帯」

 地域内で条約を締結し、核兵器の生産や保有などを禁じる取り組み。1968年、キューバ危機を背景に中南米諸国による世界初の条約が発効。南太平洋、東南アジア、アフリカ、中央アジアが続いた。いずれも核兵器国が核使用や威嚇をしない旨の議定書があり、中南米では米国など核兵器5カ国全てが批准。他の3地帯では5カ国中、米国だけが未批准。東南アジアは5カ国とも未署名。北東アジアの構想は本格交渉に至っていない。

=2018/06/13付 西日本新聞朝刊=

西日本新聞社

最終更新:6/13(水) 11:50
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