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伊勢佐木町の昭和の薫り漂う老舗映画館「ニューテアトル」、愛され半世紀…静かに閉館

6/15(金) 7:55配信

産経新聞

 長く親しまれてきた横浜・伊勢佐木町の老舗映画館「横浜ニューテアトル」(横浜市中区)が今月、約半世紀の歴史に幕を下ろした。同館を経営する長谷川喜行社長(56)の体調不良などにより、閉館が決まった。“昭和の薫り”を漂わせる同館の最終日には、横浜と映画をこよなく愛する人たちで館内はあふれた。長谷川さんは「まだ実感が湧かない。きっと後々、寂しくなるだろう」としみじみと語った。 (王美慧)

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 最終日となった1日は3作品が上映され、最終上映作品には「ヨコハマメリー」(平成18年公開、中村高寛監督)を選んだ。かつて伊勢佐木町周辺にいた全身白ずくめの娼(しょう)婦(ふ)「メリーさん」の生涯を追ったドキュメンタリー映画で、同館が全国で最初に封切りした。連日500人以上が訪れ、6週間で約1年分の売り上げを記録した、ゆかりの作品だ。

 ◆名残惜しむ来館者

 この日は午前9時半ごろにチケットの販売を開始し、即完売した。上映後は約1時間、館内が開放された。約100人のファンが外観を撮影したり、座席に座ったりして、余韻に浸った。

 同作品に出演した大久保文香さん(77)=中区=も最終日に訪れた一人。大久保さんは「若い頃は、よくイセブラをしていた。昭和の時代にあった映画館が次々となくなっていく。寂しいですね」と閉館を惜しんだ。

 かつて映画館が林立していた伊勢佐木町周辺。明治初期から数多くの芝居小屋や劇場が立ち並んだ日本有数の娯楽スポットだった。

 ◆かつては映画の街

 「横浜オデヲン座」「横浜ピカデリー劇場」「横浜東映会館」…。時代とともに芝居小屋や劇場は映画館となり、伊勢佐木町周辺は日本を代表する映画の街へと変貌を遂げていった。

 最盛期の昭和30年代には、横浜市内に約50館もの映画館があったという。だが、シネマコンプレックス(複合型映画館)の台頭などを理由に老舗映画館の閉館が相次ぎ、徐々に姿を消していった。

 横浜ニューテアトルは、昭和30年に東京テアトル(東京都新宿区)の直営館「テアトル横浜」として開館。47年に長谷川さんの父親、重行さん(故人)が買い取り、現在の名前でリニューアルオープンした。以来、46年間、多くの横浜市民ら映画ファンに親しまれてきた。

 ◆梗塞が契機

 長谷川さんは平成8年に引き継ぎ、全盛期には年約5万人が訪れた。しかし、レジャーの多様化で近年の客足は半分ほどにまで落ち込んだ。変わらず切り盛りしてきたが、約7年前、長谷川さんが脳梗塞を患ったのをきっかけに、閉館を決断した。

 約25年前から同館に勤める石本和美さん(44)=南区=は「これまでにも、いくつもの映画館がなくなっていった。昔ながらの映画館がなくなってしまうことには、物足りなさを感じる」。約40年前から同館に通う石井嘉之さん(63)=港北区=は「ここは自分の青春の思い出の一場面になっている。風景が変わったとしても、横浜ニューテアトルを忘れることはない」と語った。

 長谷川さんは「(最終日に)たくさんの人が来てくれて驚いた。皆さんの記憶に残してもらえればうれしい」と話した。

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【用語解説】イセブラ

 横浜のイセザキ・モールなど伊勢佐木町周辺をぶらぶら歩くことの意。東京・銀座をぶらぶら歩く「銀ブラ」から派生したとされる。伊勢佐木町は昭和43年にレコードが発売された歌手の青江三奈さんのヒット曲「伊勢佐木町ブルース」で知られたように、かつては横浜随一の最先端の街とされ、平成に入ってからもイセザキ・モールで路上ライブを行っていた人気デュオ「ゆず」のファンの“聖地”といわれる。ただし、銀ブラには銀座のカフェーパウリスタでブラジルコーヒーを飲むという意味だとの説もある。

最終更新:6/15(金) 7:55
産経新聞