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川口能活、控えの献身と代表の誇り…状況酷似の南ア組が体験語る

6/15(金) 8:02配信

スポーツ報知

 10年南アフリカ大会の日本は、今回同様に前評判が低い中で本大会を迎えたが、16強入りを果たした。チームはどう立ち直ったのか。当時代表のGK川口能活(42)=相模原=が体験を振り返った。

 当時34歳の川口は4大会連続選出となったが、前年9月に右けい骨を骨折し、公式戦にも復帰していない状況。「岡田監督には『出場できる可能性は低い』と告げられた」。与えられた役割はチーム主将。最年長として、いかにチームをまとめるかに専念した。

 「主力組は控え組のことをよく見ている。彼ら(控え組)の一挙手一投足で士気が変わる」。川口は練習でボール運びなどを率先して行い、ベンチでは身を乗り出して声を出した。選手の話も聞き、時には監督とのパイプ役にもなった。

 役割を全うできたのは、お手本がいたからだ。「(02年)日韓大会で、(控えの)中山(雅史)さんと秋田(豊)さんの態度や言動で僕らは勇気づけられた。今度は僕の番と」。代表選手は所属クラブでは主力。ベンチを温めるには覚悟が必要だが、「南ア大会の僕やシュン(中村俊輔)も己のプライドより代表への誇りを優先した。今回もそういう選手が出てくると思うが、彼らの振る舞いに勝敗が懸かっている」と話した。

 ◆南アW杯の岡田ジャパン 脳梗塞で倒れたイビチャ・オシム監督の後を継ぎ、08年1月から指揮を執った岡田武史監督の下でアジア最終予選を突破。だが、国内最後の親善試合となった10年5月24日の韓国戦で0―2と敗れ、岡田監督は日本協会の犬飼基昭会長に進退伺を出す事態になった。この敗戦を機に、指揮官はMF中村俊輔(横浜M)を中心とした攻撃的な戦いを断念。本番はキープ力の高いMF本田圭佑を1トップに入れ、全員守備からカウンターを狙う戦術に大転換した。初戦でカメルーンを1―0と下すなど2勝1敗で1次リーグを突破。決勝トーナメント1回戦はパラグアイにPK戦の末敗れた。(肩書、所属は全て当時のもの)

最終更新:6/15(金) 10:35
スポーツ報知