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「無印」新宿駅から約400m 西武新宿駅が離れている歴史事情

6/20(水) 6:20配信

乗りものニュース

中央本線の「支線」が都心乗り入れ目指した

 利用者の人数が世界一とされている新宿駅。JRの中央本線と山手線を中心に東京メトロと都営地下鉄が乗り入れていて、京王電鉄や小田急電鉄もJRの新宿駅に隣接してターミナルを設けています。

【地図】新宿、早稲田~高田馬場「幻のルート」

 ただし、西武鉄道が運営する新宿線のターミナル・西武新宿駅は、新宿駅から北へ約400mのところにあります。新宿駅から西武新宿駅まで歩いて乗り換える場合、少なくとも10分程度は見ておく必要があるでしょう。なぜ西武は新宿駅から離れた場所にターミナルを設けたのでしょうか。

 西武新宿線の起源は、1894(明治27)年から1895(明治28)年にかけ、国分寺~川越(現在の本川越)間に開業した川越鉄道です。南側の国分寺~東村山間は現在の西武国分寺線で、北側の東村山~本川越間が現在の西武新宿線の一部になります。つまり、川越鉄道は新宿から川越に向けて延伸されたわけではなく、国分寺駅で接続する甲武鉄道(現在のJR中央本線)の支線のような存在だったのです。

 しかし、川越鉄道が合併により西武鉄道(初代)に変わっていく過程で、都心に乗り入れる独自の路線の計画が浮上します。その背景には、東上鉄道(現在の東武東上線)や武蔵野鉄道(現在の西武池袋線)など、ライバル路線の開業がありました。甲武鉄道と川越鉄道のルートは大きな迂回(うかい)ルートになっています。そこで、中央本線経由より短い距離で東京都心に入れる路線を建設しようと考えたようです。

 こうして1927年(昭和2)年、東村山~高田馬場間が「村山線」として開業。まずは国鉄(現在のJR東日本)山手線との連絡が図られました。西武はさらなる都心への乗り入れを目指していきます。

最初は新宿を目指さなかった

 村山線の開業に先立つ1926(大正15)年、国は西武が申請していた、高田馬場から早稲田に延伸する計画を認めました。このころ、東京市(現在の東京都)が「市営地下鉄」の建設を構想し、早稲田には市営地下鉄の駅が設けられることになっていました。西武は市営地下鉄との連絡を図るため、早稲田への延伸を考えたようです。

 しかし、西武が計画した早稲田ルートの近くでは、国鉄が「戸山原貨物駅」の建設を計画していました。山手線・新大久保~高田馬場間の東側(現在の早稲田大学西早稲田キャンパスなどがあるエリア)には陸軍の射撃場があり、射撃場とその周辺の土地を使って貨物駅を建設することが考えられていたのです。貨物駅の詳細な設計が決まらないと西武の早稲田延伸もルートを確定できないなどの理由から、計画は宙に浮いてしまいました。

 それから9年後の1935(昭和10)年、西武は新宿に乗り入れる計画を国に申請します。このときは西武村山線の下落合駅から分岐し、大部分は地下を通って新宿駅に向かう計画でした。

 ところが、西武は1937(昭和12)年に下落合~新宿間の計画を撤回。西武村山線を高田馬場駅から新宿駅に延伸する計画を改めて申請しました。この計画変更にどのような考えがあったのかはっきりしませんが、建設費を安くするといった目的があったのかもしれません。

 しかし、当時の国鉄線を運営していた鉄道省(現在の国土交通省)は、並行路線となる山手線の運営に大きな影響があると考え、西武村山線の延伸計画には消極的だったようです。また、高田馬場駅から新宿駅に向けて南下するなら、戸山原貨物駅の予定地を縦断することになります。早稲田への乗り入れ以上に建設が難しくなることは明らかでした。

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