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【馬場さんと食べたあの夕飯】“絶対王者”元プロレスラー小橋建太さんが語る「レスラーめし」

6/21(木) 15:28配信

メシ通

日々、リング上で熱い闘いを見せるプロレスラーたち。
その試合の基盤にあるのはタフな練習、そして “食事” だ。
その鍛えた身体を支えるための日々の食事はもちろん、レスラーを目指していた頃の思い出の味、若手の頃に朝早くから作った作ったちゃんこ、地方巡業や海外遠征での忘れられない味、仲間のレスラーたちと酌み交わした酒……。
プロレスラーの食事にはどこかロマンがある。
そんな食にまつわる話をさまざまなプロレスラーにうかがう連載企画「レスラーめし」。
その第一回に登場していただくのは小橋建太さん。
全日本プロレス~プロレスリング・ノアに在籍し、周りがレスリングや相撲のエリート出身の選手の中で、その絶え間ない練習と熱い試合で心身を鍛え上げてトップの一角を担い続けました。
新時代を切り開く闘いを繰り広げた全日本時代、“絶対王者” と呼ばれたノア時代と、数々の名勝負を残しましたが、特にタッグを組んでも闘っても故・三沢光晴さんとの縁は深いものがありました。
また2006年には腎臓がんが見つかり、復帰困難と言われるも奇跡のカムバックを果たし、プロレスファンならずともかつてない感動を巻き起こしました。
2013年に現役引退後はプロデュース興行「Fortune Dream」を開催しつつ、がんやさまざまなけがを乗り越えた経験を元に、 “夢の実現” “命の大切さ” などの小橋さんらしい熱い思いとまっすぐなメッセージを、ファンに届け続けています。

学生時代、苦しい中で工夫してくれた母の手料理

小橋さんの現役時代、レスラーとしてファンに強いイメージを与えたものというと、なんといってもその豪腕をはじめとした “筋肉” 。
さぞ食べて鍛えて生まれたであろうことは間違いありませんが、現役時代は食への関心は強い方だったのでしょうか?
小橋:いやあ、ぼくはグルメじゃないですよ(笑)。自分からいろんなお店を探して食べに行くってよりも、適当なところに入って、気に入ったら通うって方が多いですね。いまは子どももいるんで、そうなると行けるところも限られてくるんで、あんまり家族で外では食べなくなってたりしますね。周りにご迷惑かけるんで。
── では小橋さんの子どもの頃の話からうかがいたいんですが、ご出身は京都の福知山市ですよね。
小橋:そうですね。子どもの頃はそんなに裕福な家じゃなかったんです。父親と母親が物心ついた時には別居してて。それで母親と一緒に住んでいたんですけど、実家の方が米を作ってたんですよ。だからしっかり大きくなるように送ってくれたから、米だけは食べてましたね。
── 決してぜいたくではないけれども、お腹はお米でしっかりいっぱいに。
小橋:とにかくお腹がいっぱいになればいいっていうか、シャレたところに行くってのはなかったですね、子どものころから。京都だからってわけじゃないですけど、漬物だけでもご飯はおいしいですから。
── なるほど、京都といえば京漬物。
小橋:母も料理は好きなんで、工夫していろいろやってくれてましたね。なんでも創作で作ってくれるんですよ。その中でも……そうですね、クリームシチューとか、卵料理とか。クリームシチューは白くて市販のやつで、じゃがいもとたまねぎ、にんじんが入った普通のやつですけど、頑張って工夫してくれたんでしょうね。今も頭に残ってます。
── お母さんの手づくりシチューが一番の思い出なんですね。
小橋:でもそんな気軽にあれが食べたい、これが食べたいと選り好みが出来る環境ではなかったし、言えなかったですよ。母親が自分を食べさせるために、一生懸命頑張ってくれるんで、それを見ていると何も言えなかったですね。
── 小橋さんが子どもの頃はお父さんがいらっしゃらなかったということで、お母さんが昼に仕事に行って、帰ってきてからご飯作る、という感じですか?
小橋:そうです。ただ、母は夜ご飯作ってまたその晩、皿洗いに行っていたんですよ。福知山の田舎に当時数軒しかなかったファミレスがあったんです。そこで夜中働いて帰ってきて、また朝起きて朝飯作って仕事して、の繰り返しですね。
── お母さんすごいですね。子どもを育てるために夜中の仕事まで。
小橋:本当ですね。そういう姿を見ていると、あれ食べないとかこれ食べないとか言えないっていうか、残したりすると母親にものすごく申し訳ない。そういう思いはありました。お米とかを無駄にして食べちゃだめだ、ひとつぶひとつぶ食べようと。お皿をなめるじゃないですけど(笑)。
── そのお母さんの働いてたファミレスに行きたいって思いはなかったですか?
小橋:いやあ、行きたいってのはなかったですね。当時としてはまだファミレスって新しいものってのがあったんですよ、なんせ福知山ですから(笑)。それにお金がかかるから、ってイメージあったので、心配させちゃ悪いと常に思っていましたね。だからファミレスの他でも、外のお店で食べたとかの思い出もぜんぜんないです。別にそのことに対して不満もないですけどね。
── その当時、小橋さんはスポーツに励んでたそうですね。
小橋:はい。少年野球をやって、中学高校で柔道をやっていました。けっこうのめりこんでやっていたので、「遊びに行きたい」とか言うこともなかったですし、あんまり親に迷惑をかけることはなかったと思います。ただ、ご飯は食べましたね(笑)。食費はかかったと思います。
── 柔道部の高校生とか、丼めしでご飯食べてそうなイメージです。
小橋:練習でエネルギーを使うので、何杯も食べていたと思います。母親もおかずをいっぱい作ってくれてね。大変だったと思います。高校とか、朝は自主トレもあって本当腹減ってたんで、ふたつくらい弁当持って行ってたんですよ。
── 弁当ふたつも!
小橋:ひとつはもうほとんどお米だけで、梅干しひとつの日の丸弁当だったんですけどね。本当米だけでも食べられるのはありがたいことだなって思いますね。その頃はわからなかったんですけど。
── 今はお子さんもいらっしゃるから、当時の母親のことをまた違った目で見られるんじゃないですか。
小橋:そうですね、その頃はわからないんですよね。「食べることが出来るのは当たり前」って思っていたから。ですけど、自分が働くようになって、それが当たり前じゃなかったんだなーって思いますね。本当、余計に親への感謝の思いが強くなりました。

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最終更新:6/21(木) 15:28
メシ通

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