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営業職になったバドミントン元全日本王者「非エリート選手」のその後 自己成長のため「競技を離れる」決心

7/1(日) 7:00配信

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 スポーツの世界で五輪や世界大会を舞台に活躍できる選手はごくわずかです。限界を感じた選手は様々な選択を迫られます。バドミントンの強豪、日本ユニシスでキャプテンをつとめた福井剛士さん(40)は、けがによる引退後、畑違いの営業職に進みます。誰一人賛成しなかった選択でしたが「選手時代の10年より引退後の10年の方が成長できた」。転職や副業が当たり前になりつつある時代。「五輪に一歩届かなかった」選手のセカンドキャリアを聞きました。(ライター・小野ヒデコ)

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トップ選手と自分との相違点を分析

<高校時代の成績は最高で全国ベスト16。スーパーエリートではなかったからこそ、福井さんは、全国NO.1との違いを分析するようになったという>

 出身は大阪府平野区瓜破(うりわり)で、10歳でバドミントンを始めました。瓜破はバドミントンの強い地域で、男女問わず五輪選手候補が数人出ていました。周りでは運動神経の良い人の多くはバドミントンをしていましたね。

 大学進学は、高校時代に全国大会ベスト8以上の人たちは関東の大学に行くというのが王道でした。当時の大学のバドミントンのレベルでは、関東と関西を比較すると圧倒的に関東のほうが強かったんです。

 僕の成績は最高でベスト16。当時、全国NO.1と自分との違いを考えました。何が勝っていて何が劣っているのか自分なりに分析しましたが、上位選手を過大評価し過ぎたあまり、挑戦する気持ちにブレーキをかけていたのかもしれません。

 その時は、そこまで自分に実力があると思っていなかったので、身の丈にあった関西の大学で地に足をつけようと思い、馴染みがあった監督と同じ、近畿大学へスポーツ推薦で進学しました。

強豪から突然のオファー

<強豪の日本ユニシスから突然のオファー。当初は不安だったという福井さんだったが「自分の可能性を引き出せるチームで試してみたい」と入社を決意する>

 4年間はバドミントン漬けの日々でした。バドミントンを取ったら自分には何が残るのだろうという思いがあり、その不安は徐々に膨らんでいきました。

 大学3年生になると、全国大会上位の学生には実業団チームから声がかかり始めます。僕は関西ではトップでしたが関東の人に比べたら実力は劣り、実業団から声をかけてもらえるポジションにいなかった。

 それでも、就職先を社会人一部リーグに所属する実業団チームへ入る方向に舵を切りました。監督や先輩などの伝手を頼りに、順番に売り込みをしていきました。

 卒業も近づいてきて、声をかけてもらった会社の一つに就職しようと思っていた矢先、突然日本ユニシスから声がかかったんです。日本ユニシスは強いチームだったので、その時は自分には無理だと思って選択肢にありませんでした。

 別の選手が辞退したのか急きょ、僕が繰り上がったのだと思います。オファーをもらって嬉しい反面、強豪チームに入ってやっていけるのかという不安が強く出ました。

 家族や監督、友人に相談したところ、「こんな強いチームに呼んでもらえるチャンスなんてない」と背中を押されました。悩んだ末、せっかくだったら自分の可能性を引き出せるチームで試してみたいと思うに至り、2000年に日本ユニシスに入社することにしました。

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最終更新:7/1(日) 12:08
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