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【桂歌丸さん死去】横浜の地元「夢と希望もらった」

7/2(月) 22:46配信

カナロコ by 神奈川新聞

 「夢や希望をたくさんもらった」「『人間国宝』にしたかった」-。落語家として若くして頭角を現し、晩年は病気を患いながらも生涯現役を貫き通した桂歌丸さん。下町風情あふれる地元・横浜を愛し、地域に活気を与え続けた81年の噺(はなし)家人生。幼なじみや商店主らは体調の変化に気をもみ、復活を念願していただだけに希代の師匠を惜しんだ。

◆町内で高座つくり応援

 自宅にほど近い横浜市南区の金比羅大鷲神社には、歌丸さんの名前が記されたちょうちんが掲げられる。

 同神社責任役員で幼なじみの中村宣吉さん(83)は「生まれ育った地元を愛し、みんなからも慕われていた。中学生で落語界に入った『歌さん』が若いころに伸び悩んだときは地元で高座を作って助けたこともあった」。人間国宝になってもらおうと動き始めていたと明かし、「早く認めてほしいとの声もあったが、届かなかった」と悔やんだ。

 「頭が真っ白になった」。そう話すのは、市立南吉田小学校で同級生だった余川美智子さん(82)。歌丸さんが独演会や桂歌丸一門会の公演を行ってきた「三吉演芸場」の真向かいで、和装履物店「ヨカワ商店」を営む。

 普段から飾らず気さくな人だった。人前では「師匠」、2人の時は「歌さん」と呼んだ。幾度となく、下駄(げた)や雪駄(せった)を注文してくれた。ある日、歌丸さんが「歯は自前、耳も目も悪くない」と自らの健康を自慢したことがあった。余川さんが「師匠にないのは毛だけね」と冗談で切り返すと、顔をくしゃくしゃにして笑った。

 最後に会ったのは昨年3月ごろ。痩せた姿が痛々しかった。「歌さんには夢や希望をたくさんもらった。ありがとうと伝えたい」。余川さんは声を震わせ、あふれる涙をぬぐった。

◆「つつましい人だった」

 歌丸さんが週1回ほど利用したそば店「安楽」の店主石塚安太郎さん(76)は「出前に行くとステテコ一丁といったラフな格好で出迎えて、冗談言ってくれた」と目を細めた。注文は決まって、たぬきそばなどのそば類。「とてもつつましい方という印象。惜しい人を亡くした」と懐かしんだ。

 自宅に近い横浜橋通商店街の高橋一成理事長(67)は「歌丸さんなくしてこの商店街はない。太陽が消えてしまった」。

 歌丸さんは商店街の名誉顧問を引き受け、2011年には近くの公園に植樹した桜を「歌丸桜」と命名。「粋(いき)な下町」を掲げる商店街の盛り上げに心を砕いた。

 3日には商店街に献花台と垂れ幕を設ける。「歌丸師匠お疲れさまです。ご冥福をお祈りします」