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丸刈りにしなくていいなら、と野球部入り 楽天・岸投手

7/9(月) 9:13配信

朝日新聞デジタル

 プロ野球楽天イーグルスの岸孝之投手(33)は、移籍2年目の今季、通算1500奪三振を達成し、安定した投球でチームに大きく貢献している。高校時代は、名取北(宮城県)のエースとして2年生からチームを引っ張った。第100回全国高校野球選手権記念宮城大会が14日に開幕するのを前に、大舞台に臨む後輩たちへメッセージを贈ってもらった。

【写真】岸孝之投手=仙台市宮城野区、福留庸友撮影

 ――名取北に進学したのはなぜですか。

 自宅から近かったから。野球部を見て学校を選んだのではなく、本当にそれだけの理由で選びました。

 ――野球部に入部した経緯は。

 社会人野球の監督をしていた父の影響か、幼いころからプラスチックのバットを振っていたようです。小学3年からは少年野球チームに入り、中学も野球部でした。高校では、体験入部のときに坊主頭が強制ではないと知り、「坊主にしなくていいなら」と、入部を決めました。

 ――当時、練習をどう感じていましたか。

 練習がきついと感じる時もありましたが、試合に出してもらえていたこともあり、楽しかったです。チームメートと仲が良く、練習後にサッカーをしたりして遊んでいました。

 ――2年でエースになり、後に武器になるスライダーを習得しました。

 投げられるようになりたい一心で練習しすぎて、ひじを痛めてしまったこともありました。

 ――当時、甲子園に出たいという気持ちは?

 全くなかったです。ただ、目の前の試合に勝ちたいという気持ちだけで練習していました。

 ――3年の夏の宮城大会で、1回戦は無安打無得点(コールドで参考記録)に抑えました。

 その試合をたまたま見た大学の関係者に誘っていただき、大学でも野球を続けました。そうでなければ、続けていなかったと思います。振り返れば、その先を決める大きな試合でした。

 ――2回戦は悪天候の中、2―4で敗れました。

 「勝てたよな」という思いがあって、とても悔しかったです。試合後、監督に言われて書いた作文には「負けた気がしない」と書きました。

 ――それが今後も野球を続けるきっかけになったのですか。

 そうではないですね。もちろん悔しかったのですが、むしろ負けたおかげで学校の球技大会に出られたことがうれしかったです。

 ――その年、甲子園に出場した仙台西にも、練習試合では2桁の三振を奪っていた。悔しさもあったのでは?

 なかったです。実は、仙台西と名取北で進学先を迷っていたんです。でも、仙台西へ行った友達が1年生から坊主にさせられていたのを知って、名取北で良かったと思ったくらい。もし仙台西へ行っていたら、野球を続けていなかったと思います。

 ――野球をやめようと思ったことは。

 大学入学前に合宿に参加した時に思いました。練習がきつくて、高校の監督に「やめていいですか」と言ったのですが、説得もあり、思い直しました。

 ――楽天イーグルスの選手として宮城に戻って来た思いは。

 僕が野球を始めたのは仙台。仙台、宮城、そして東北のためにがんばりたいと思いました。

 ――今も生きている高校時代の経験はありますか。

 ここまでやってこられたのは、一緒に野球をしてきたチームメートや監督のおかげだと思っています。小学生の時に友達が誘ってくれたから野球チームに入り、中学でも友達が野球部に入るから、自分も入りました。野球をやめようかと思った時は仲間が引き留めてくれた。そういう人たちがいたから今があると思い、感謝しています。

 ――最後に、宮城の高校球児たちにメッセージを。

 仲間を大切にしてください。僕は、仲間がいたから、今の自分がいると思う。きっとそう思う日が来るはず。一人では野球はできないことを忘れないで、仲間を信じてがんばってください。(聞き手・構成=窪小谷菜月)


     ◇

 きし・たかゆき 1984年12月4日生まれ。宮城県出身。名取北高で2年からエースとして活躍。東北学院大では仙台六大学リーグを18年ぶりに制覇した。卒業後はプロ野球西武に入団し、2年目に日本シリーズMVPで日本一に貢献。2016年オフに楽天に移籍した。今季は5月の月間MVPに選ばれ、史上54人目の通算1500奪三振を達成した。180センチ、77キロ。右投げ右打ち。

朝日新聞社

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