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『最後のジェダイ』女優のインスタ削除に見る“批評”と“中傷”の境界線

7/9(月) 7:10配信

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批評と中傷の境界線とは

では、批評(や意見や感想)と中傷の境界線はどこにあるのか? ひとつの指標は、「人種や性別、外見、家庭環境など、生まれつきのものや自分では変えられないもの」ではないだろうか?

キャスティングに反対だからと、俳優の外見や人種を笑うこと、面と向かっては絶対にやらない侮辱をすることは、もう批評の域を超えている。米国には以前から、中傷のギリギリ・ラインの要素を毒舌トークや皮肉コントに織り交ぜるコメディアンが多いが、最近は、そうした発言が差別的と断罪され、即キャリアを失うケースが続出している。

一般企業においても、つい先日(6月22日)、ネットフリックス社が黒人差別用語を発したベテラン重役を解雇した。

匿名だからこそ意識したいこと

ネット上で身分を明かさずに行う匿名発言は、自身も批判の対象となるリスクと責任を覚悟のうえで行う発言よりも、境界線の自己診断が必要なものだろう。

筆者にも、思い入れのある漫画がアニメ化されたときに、その声優キャスティングに激しく落胆した経験がある。それでも、その落胆と声優のひととなりは、まったく関係のないこと。

アジア人俳優が役を得ることが至難であるハリウッドにおいて、やっとチャンスを得た1人であるトランが、演技やキャリアとは関係のないところで、ここまで追い詰められなければならなかったことはやるせない。批評と中傷の境界線における万国共通の答えはないのかもしれないが、投稿の先に“生身の人”がいることは忘れないでいたい。

Avanti Press

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最終更新:7/9(月) 7:10
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