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平和かみしめた「戦後初の中等野球大会」を振り返る(下)

7/10(火) 6:31配信

アジアプレス・ネットワーク

この夏、100回を迎える「全国高校野球選手権大会」は、1941年から45年は戦争のため中断、多くの元球児が戦死した。戦後初めて開かれた第28回大会で準優勝した京都二中(現・京都府立鳥羽高校)OBの黒田脩さん(88)=兵庫県西宮市=は「戦後に大会が復活して中断せずに100回大会を迎えられるのは平和だからこそ。野球ができる喜びをかみしめ、これからも1回、1回と積み重ねていってほしい」と、後輩たちへ「平和のバトン」を託す。(矢野宏/新聞うずみ火)

◆ 戦後初の全国大会へ向けて

46年4月にプロ野球8球団によるペナントレースが復活し、東京六大学リーグ戦や全国都市対抗も再開した。中等野球大会も復活に向けて動き出しており、朝日新聞社は1月、全国の意向調査を経て大会復活の社告を出す。

その年の4月、黒田さんは京都二中の4年生に編入している。長岡京市から市立中学へ通学するのが大変だったから。黒田さんは放課後、グラウンドで野球部員たちが練習しているのを見て入部を決めたという。

「好きな野球ができるというのは嬉しかったなあ。大阪は焼け野原でそれどころやなかったが、京都はそない焼けてへんかったから」

京都二中は、1915年に開催された全国中等学校優勝野球大会の第1回大会で優勝するなど、全国に名をはせた野球の名門校。戦時中に解散していた野球部が敗戦から2カ月後に復活できたのは、10ダース以上のボールとバット、グラブなどを保管していた野球部長や、戦前からの用具をすべて贈ってくれたOBらのお蔭だった。

京都大会が始まった7月、黒田さんは8番サードで先発出場した。「今度の粉屋の子、いけるで」。選球眼がよく、打順を一つずつ上げていくと、根も葉もないうわさが流れ始めた。「二中の黒田は野球をするために、わざわざ大阪から京都へ転校してきたのではないか」。今でいう「野球留学」疑惑である。

「空襲で大阪の家が焼けたんや言うてもあかん。兄と学校関係者が大阪まで行き、『罹災証明書』のようなものをもらって提出してやっとわかってもろた」

京都大会の決勝で京都商業(現・京都学園)を6‐1で破った日の夜、OB会主催のすき焼きパーティーが開かれた。

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