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「被災地に千羽鶴はやめるべき」議論が西日本豪雨で再燃 熊本地震で現場はどうだったか、熊本市に聞く

7/11(水) 13:40配信

ねとらぼ

 西日本を中心に大きな被害をもたらした「平成30年7月豪雨」。被災地への義援金を自治体や企業が募集するなど支援の動きが高まる中、「被災地へ折り鶴を贈るのは自己満足でしかないからやめるべき」という呼び掛けが、Twitterで議論の的となっています。熊本地震の際は、こうした千羽鶴や色紙といった励ましの贈り物はどれほど届き、処置に困るようなことはあったのか――熊本市の復興総室に取材しました。

【画像】被災地への支援物資が妨げになった例

折り鶴は「完全に作る側の自己満足でしかありません」

 議論を呼び起こしたのは、東日本大震災の経験者によるツイート。折り鶴は食べられないしお金にもできない、場所を取るし、捨てづらいとし、「作る側の自己満足」として折り鶴を作る費用を募金してほしいと語っていました。

 千羽鶴といえば広島平和記念公園内にささげられるなど平和のシンボルとして知られており、大きな災害があったときにも被災地へ贈られることもあります。しかし近年、このツイートにあるような「必需品でないのに場所をとる、その上捨てづらい」などの理由から、厄介な品にしかならないので被災地へは贈るべきではないという意見が見られるように。東日本大震災や熊本地震など、震災のたびにネットで物議を醸してきました。

 呼び掛けは8万回以上リツイートされ、リプライ欄ではさまざまな意見あがっていますが、賛同の声が多く見られます。「災害があってどうしようというときに千羽鶴が送られてきても何にもならない」「東北でボランティアしたときに千羽鶴の置き場所に困った」「善意の押し付け」など、「被災者を思いやるのなら、折り鶴よりもお金を送るのが一番」という声が圧倒的です。

 しかし一部では「いくらなんでも言い過ぎでは」「折り手の優しい気持ちも少しは考えて」と反感を覚える人もいます。こうした意見に「気持ちを届けたいのなら、迷惑な形ではなく助けになる形で送りましょうという話」と諭す声や、「なぜそこで相手の助けになる行動を考えられないの」と反論する声も続出。「行為を見直そう」という主張と「善意を否定された」という感情がぶつかり合いやすく、本件の議論の難しさを浮き彫りにしています。

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最終更新:7/11(水) 20:11
ねとらぼ