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第30回高松宮殿下記念世界文化賞 受賞者の素顔(4-1)

7/12(木) 7:55配信

産経新聞

 ■多様性追求した創造者たち

 高松宮殿下記念世界文化賞の第30回受賞者が発表された。それぞれの分野で芸術表現を追求し、文化の発展に貢献してきた5部門の受賞者たちの経歴と業績、また同時に発表された第22回若手芸術家奨励制度の対象団体の活動を紹介する。=敬称略

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 ■自由な描線に込めた創作衝動

【絵画部門】ピエール・アレシンスキー

 Pierre Alechinsky

 1927年10月19日

 ベルギー・ブリュッセル生まれ

 絵画、版画、書道、デザインと多岐にわたるスタイルで、自身の内面を大胆に表現することで知られるベルギーを代表する現代美術家。90歳になった今も、その創作意欲は衰えることを知らない。

 ベルギーのブリュッセルに生まれ、1944年から4年間、ブリュッセルのラ・カンブル国立美術学校でイラストや版画、本の装丁などを学ぶ。

 48年に結成された国際的な前衛美術集団「コブラ(CoBrA)」に翌年加入し、最年少メンバーとして活動した。この芸術集団は短命に終わったが、アレシンスキーは内面から湧き上がるプリミティブ(原初的)な創作衝動に沿った、迫力ある作品づくりを標榜(ひょうぼう)したこの集団の精神を受け継いだ。

 その後、パリに移住。江戸時代の禅僧で画家の仙●(せんがい)を師と仰ぎ、昭和初期の前衛書道家、森田子龍と交流を深めるなかで、書道の影響を受けた自由な描線と、米で学んだアクリル絵具の乾きやすいという特性を活かし、言葉にできない熱い思いをキャンバスにぶつけた。

 55年には来日し、滞在中に篠田桃紅(しのだ・とうこう)(現在105歳)らとも交流し、「日本の書」という短編映画を撮影するほど、日本の書道に魅せられた。

 以降、こうした独自のスタイルを基盤に多くの作品を発表。60年と72年にはベルギー代表としてヴェネチア・ビエンナーレに出品。70年代以降、米をはじめ世界各地の美術館で個展が開かれた。文筆家でもあり、文字のある反故(ほご)紙を使った作品も多い。

 83年から4年間、パリの国立高等美術学校で教授を務めたほか、94年にはベルギー自由大学から名誉博士号も授与されるなど、後進の育成にも力を入れている。ベルギーから初の世界文化賞受賞。

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 ■自然に寄り添う霧のアート

 【彫刻部門】中谷芙二子 

 Fujiko Nakaya

 1933年5月15日

 札幌市生まれ

 “霧のアーティスト”として世界に知られる。米ノースウェスタン大学美術科を卒業後、初期の絵画制作を経て、技術者ビリー・クルーヴァー、芸術家ロバート・ラウシェンバーグ(第10回世界文化賞受賞者)らにより結成された、芸術と技術の協働を推進する実験グループ「E.A.T.」に参加。活動の一環として1970年の大阪万博ペプシ館で、初めての人工霧による「霧の彫刻」を発表。白い霧でパビリオンをすっぽり包んだ。

 高圧ポンプと独自に開発した微粒子ノズル群によって人工の霧を発生させる。霧は、気象条件や地表の凹凸、樹木などその場の環境を読み取り、風に寄り添い、大気と響き合って刻一刻と姿を変える。見えるものが見えなくなり、風のように、見えないものが可視化されてゆく。

 つまり環境が彫り出す霧の千変万化こそが「霧の彫刻」であり、最後は自然に委ねるのが作法という。環境彫刻、インスタレーション、パフォーマンスなど世界各地で80を超える霧作品群は、人と自然と取り結ぶメディアだ。「最近ようやく霧の言葉が少し分かるようになった」と語る。こうした環境への関心は、世界で初めて雪の人工結晶を作った実験物理学者の父、中谷宇吉郎(1900~62年)の影響が大きい。

 日本におけるメディア・アートの礎を築いた功労者でもある。70年代から社会を鋭く見つめたビデオ・アート作品の制作や、海外作家との交流を推進。日本の若手ビデオ作家の発掘と支援に尽力した。

 昨年はロンドンのテート・モダン新館で霧の新作を発表し話題に。現在も米国やオランダなど国内外で新プロジェクトを進めている。今年10月からは、水戸芸術館(水戸市)で初の大規模個展が開かれる。

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 ■都市空間と人間の関わり密に

 【建築部門】クリスチャン・ド・ポルザンパルク 

 Christian de Portzamparc

 1944年5月9日

 モロッコ・カサブランカ生まれ

 50歳の若さでフランス人として初めて「建築界のノーベル賞」と呼ばれるプリツカー賞を受賞するなど、フランスを代表する建築家兼都市計画家で知られる。

 大胆なデザインと芸術的アプローチ、そして、水彩画の画家としての側面を生かした想像力豊かな作風で知られ、とりわけ音楽関係の施設の設計で国際的に高い評価を獲得している。

 1944年、モロッコのカサブランカ生まれ。パリの国立高等美術学校エコール・デ・ボザールでシステマティック・デザイン(組織的設計)を学び、66年には米ニューヨークに移住。名門コロンビア大学で建築を学び、69年にエコール・デ・ボザールを卒業。80年に自分の事務所を設立。幾何学的な秩序を重んじるモダニズムとは異なり、都市空間と人間との関わりをより親密にする作品群で評価を高めた。

 パリ13区のオートフォルム街の集合住宅(79年)など、70年代後半から頭角を現し、ミッテラン大統領(当時)のプロジェクトで、複数の大小のコンサートホールや音楽博物館、居住区、スポーツ施設などを備えた「音楽都市」(95年)で一躍有名に。

 このほか、福岡市の「ネクサス集合住宅」(91年)や、ルクセンブルク・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地で知られるコンサートホール「フィルハーモニー・ルクセンブルク」(2005年)、パリ郊外に昨年完成した屋内スタジアム「パリ・ラ・デファンス・アリーナ」でも知られ、現在、中国の「蘇州文化センター」(19年完成予定)に尽力している。

 建築を“知”の領域まで高めた功績は大きい。建築家で都市計画家のエリザベート夫人(ブラジル出身)と共同事務所を構えている。

●=がんだれに圭

最終更新:7/12(木) 7:55
産経新聞