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クロアチア主将・モドリッチ 難民出身、手榴弾の中でプレーしたその生い立ちとは

7/12(木) 13:05配信

ハフポスト日本版

「何千もの手榴弾が丘の上で爆発し、ピッチにまで落ちてきた」

クロアチア主将として自国を初めてのワールドカップ決勝進出に導いたモドリッチ。

レアル・マドリードの3連覇に貢献し、FIFA・Fifpro(国際プロサッカー選手会)ベストイレブンにも3年連続で選出されている。今回の活躍もあわせて、世界最高MFとしての名声をますます強固なものにしようとしている。

PK戦の最中に緊急事態。クロアチアの消防士たちの切り替えが半端ない

試合後に喜びを爆発させる姿が「無邪気でかわいい」とSNS上でも話題になっているモドリッチ。しかしその幼い頃は、苦難の道をたどったことで知られている。

1985年、モドリッチが生まれたのは旧ユーゴスラビア(現クロアチア)のザダル郊外、モドリッチ村だった。

ユーゴ紛争が始まった1991年、彼の生まれた小さな村はセルビア軍の標的になった。スペインで2012年に放送されたドキュメンタリーによると、当時も生家周辺には、地雷が埋まっていることを示す標識があったという。


ルカという名前を授けてくれた彼の祖父は、91年12月、牛の世話をしている最中にセルビア軍に殺された。家族は、約60キロ離れたザダルに逃れ、難民となったとガーディアンは報じている。

6歳で難民となったモドリッチは、家族とともにザダルのホテルで暮らした。ホテルの駐車場で、一日中サッカーをして暮らしたモドリッチ少年。

その後、彼が入団するNKザダルの会長は「彼は痩せていて、本当に小さかったが、すぐに特別な子だと感じた。ただこれほどの活躍をするとは想像できなかった」と話している。


実際のところ、幼かったモドリッチは戦争の恐怖をそれほど感じていなかったという。

しかし、モドリッチの「サッカーの父」と称された指導者、トミスラフ・バシッチは当時をこう振り返っている。

「何千もの手榴弾が丘の上で爆発し、NKザダルのチームがトレーニングしていたピッチにまで落ちてきた。僕たちはそのたびにシェルターに駆け込んだ。サッカーは現実から逃げる手段だった」

2002年、モドリッチは16歳で国内の有力クラブ、ディナモ・ザグレブの下部組織に迎え入れられた。

トップチームに昇格した後の2003年、彼はクラブと10年の長期契約を結ぶ。この時の契約金で、モドリッチは家族が暮らす家を購入した。この時にようやく、一家は難民生活を終えることができたという。

2005年に移籍から戻るとチームのリーグ3連覇に貢献し、2007年にはリーグ年間最優秀選手に選出された。トッテナム・ホットスパーを経由して、2012年に現在プレーするレアル・マドリードに移籍した。

今大会でクロアチアは、決勝トーナメントすべての試合が延長戦という激闘を制し、決勝の舞台に駆け上がった。

イングランドとの準決勝も延長戦での逆転劇。満身創痍で終盤は立ち上がるのもやっとだったモドリッチだが、119分で交代する瞬間まで気迫を失わなかった。

15日に行われる決勝は、初優勝をかけてフランスと対戦する。

戦争の爪痕が今も残るクロアチア。その歴史を背負った英雄の活躍に、国民の期待が高まっている。