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【映像】AP通信独占取材 サハラに「遺棄」された難民

7/13(金) 15:49配信

AP通信

北アフリカのアルジェリア政府が、過去14カ月にサハラ砂漠に「遺棄」したアフリカ人難民の数は、1万3000人を超える。妊婦や子どもまでもが、食料も水も与えられず、銃口を向けられ、灼熱の太陽の下、砂漠を越えることを強制された。生きて目的地にたどり着けなかった難民の数は不明だ。
 サハラ砂漠の「ポイント・ゼロ」と呼ばれる地図にも載っていないような地点で、数十台のバスやトラックから降ろされ、気温が48度を超えるなか、ひたすら南のニジェールやマリを目指して、なんの目印もない砂漠を歩き続けるおびただしい数の難民。
 リベリア生まれで、アルジェリアでは飲み物や食べ物を売って生計を立てていたジャネット・カマラさんが5月に追放されたときは、妊娠しており、カマラさんともう1人の妊婦がサハラ砂漠で流産してしまった。
 熱い砂を掘って埋めた赤ん坊の死で、カマラさんの心も体もいまだに痛むという。
「女も男も…水も食べ物もなく、方角すら分からず死んでいった」と語るカマラさんは、少なくとも2昼夜砂漠で過ごした後、ジュネーブに本部を置く世界的な人の移動問題を扱う国連の専門機関「国際移住機関」(IOM)に救助されたという。
 アルジェリア国境から約15キロ南にあるのが、ニジェールのアッサマカだ。
町というには程遠い、半分砂に沈みかけた掘っ立て小屋の集落だが、運さえ良ければそこにたどり着ける。さもなくば、方向感覚を失い、脱水症状になりながら、砂漠をどこまでも歩き続けるのだ。ここでも、運さえ良ければ、国連の救助チームに発見されることもあるが、ほとんどの難民を待ち受けているのは、だれにも知られずに途中で野垂れ死にする運命だ。
 地中海を渡ってヨーロッパに流入する難民に手を焼いた欧州連合(EU)が、北アフリカ諸国に圧力を掛けるようになった2017年10月から、アルジェリア政府による難民の大量追放が始まった。
 アルジェリアによる難民追放について、欧州連合のスポークスマンは「主権国の内政問題ではあるが、国際的な人道法や原則を順守する必要がある」と述べるのみだ。
 アルジェリア政府は追放した移民の数を公表してはいないが、徒歩でニジェールの国境を越えた移民の数は、IOMが数をチェックするようになった2017年5月から増え続けている。ちなみに、そのときは135人だったが、ほぼ1年後の今年4月には2888人にまで増えている。
 IOMによれば、全体で1万1276人の男女、子どもが「砂漠の死の行進」を生き延びてニジェールに入国。2500人がマリに避難したが、途中で死亡した移民の数は計り知れない。
 AP通信が取材した難民は、当時の様子を次のように語った。「数百人単位で集められてトラックに載せられ、『ゼロ・ポイント』まで数時間かけて運ばれた。そこでトラックから降ろされ、ニジェールの方向を示され、銃で追い立てられるように、砂漠に足を踏み入れた」。
 セネガル出身という18歳のアリオウ・カンデは、こう話す。「なかには歩けない難民もいて、その場に座り込んでいたが、おれらは仕方なしに歩いた」。
 カンデの話だと、10人前後が砂漠で倒れた。カンデは1000人ほどの集団と一緒にいたが、朝の8時から夜の7時まで砂漠を彷徨ったという。「携帯電話も金も持ってないおれらを、やつらは砂漠に投げ出したんだ」
 彼らの証言は、AP通信が数か月掛けて収集したビデオ映像が証明している。ズラッと並んだバスやトラックから降ろされた数百人の難民が砂漠に足を踏み入れ、横に広がりながら南を目指した。
 リベリア人のジュ・デニスが隠し持った携帯電話で撮影した無蓋トラックの床には、すし詰めになった難民が、容赦ない直射日光と官憲の目を避けようと身を寄せ合っている。
 デニスはいう「アルジェリアは無慈悲にも難民を追放した。私はそれを暴露したい。われわれはここで、彼らがやったことをこの目で見た。われわれには証拠がある」と。
 アルジェリア政府は、コメントを拒否。しかし、過去には、難民を砂漠に追放して人権侵害を犯しているという批判を否定し、近隣諸国を焚きつけようとする「悪意のあるキャンペーン」だと反発していたのだ。
 地中海を渡る途中で死亡した難民1人に対して、砂漠ではその2倍の難民が命を落としており、2014年以降の潜在的死亡者数は3万人を超えるだろうと、IOMは推測している。
 IOMのアルホウサン・アドゥワル氏は、アルジェリアの大量追放を「めちゃくちゃだ」と非難する。「今回追放された難民は数千人規模でやってくる。こんなことは、いままで見たことがない」。
 アドゥワル氏はアッサマカに駐在し、新たな集団が到着する都度、自ら砂漠で迷っている難民の救助に赴くが、「大惨事」だと指摘する。
 アルジェリアの国境を越えてアッサマカまでたどり着いた難民は、IOMが仕立てたバスで内陸のアーリットか、さらに内陸にある長年アフリカの交易と移民の交差路であるアガデズまで行くが、そこで選択を迫られる。つまり、IOMの援助で、最終的にはそれぞれの出身国に帰るか、自分の身は自分で守るかのどちらかだ。
 アルジェリアを追われた大多数の難民が南を目指すなか、アガデズで来た道を戻り、アルジェリアやリビア、欧州を目指す集団もいる。

(日本語翻訳 アフロ)
*訂正:本文最初の「ナイジェリア」は「アルジェリア」に訂正します。

最終更新:7/13(金) 22:23
AP通信

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