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加藤千洋の「天安門クロニクル」(3) バラと戦車(上)初夏の平穏な午後

7/14(土) 11:45配信

J-CASTニュース

 1989年。6月初旬の北京は公園や大通りの植え込みで薄紅色のバラが咲きこぼれるさわやかな初夏の季節だ。夕刻7時前後はまだ薄暮の時間帯で、3日の土曜日は夕食後のそぞろ歩きに繰り出した老若男女の姿が目立った。

■市民もひきつけた「民主の女神」像

 当時話題になっていたのは5月30日に広場北部の長安街寄りに姿を現した高さ8メートルの「民主の女神」像。親子連れや祖父母と孫、若者グループなどが周りを取り巻き、両手でたいまつを掲げたデザインの白い像を入れて記念写真を撮り合っていた。きわめて平和な風景が私の目に焼き付いている。

 女神像は中央美術学院ら芸術系大学の学生が共同制作したもので、米国民主主義の象徴のニューヨークの「自由の女神」像をモデルにしていた。

 5月20日に建国後初の戒厳令が首都北京に発令され、すでに2週間が経過していた。戒厳部隊は、北京軍区所属の部隊を中心に何度か増員され、計18万人規模になっていた。当時の総兵力320万人の6%が動員されたことになる。耳にした情報では、大部隊の動員は「学生鎮圧」「秩序回復」だけでなく、軍の一部の「反乱警戒」もあったという。

 戒厳部隊は市中心部には入らず、周辺の幹線道路沿いに駐屯していた。私は市西部の幹線道路ロータリーで目撃した場面が忘れられない。

 兵士を運んできたホロ付きの大型トラックがずらり並び、装甲車や戦車も見られた。押し掛けた学生や市民が手と手をつなぎ、座り込んだ20歳前後のニキビ面の兵士に「人民のための軍隊だろう」「市内には入らないでくれ」と必死に呼びかける。

 すると一人の女子学生が立ちあがって戦車に近づいた。

  「人民の子弟兵でしょ。一部の偉い人のためでなく、人民を支援してください。中国の兵隊さんが、一番つらいということ、私たち、よく知っている」

 そう言ってから、戦車の砲身に薄紅色のバラの花を差し込んだのだ。

 そんな光景と、初夏の週末の広場の平穏な様子を目にしたので、「きょうも部隊は動かないだろうな」と、ますます楽観的な判断に傾いてしまった。

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最終更新:7/14(土) 11:45
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