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<西日本豪雨>岡山・真備 70年代に70センチまで浸水

7/14(土) 7:00配信

毎日新聞

 茶色く濁った水からのぞくグレーの病棟に、自衛隊のボートからはしごが伸びる。岡山県倉敷市真備(まび)町地区の小田川の堤防が7日未明に決壊し、2階まで浸水した「まび記念病院」。搬送は2日間続き、約300人の救出完了を確認できたのは9日未明だった。

 2014年に新築された病院の屋外にある非常用発電機も水没した。災害時の設備だが、高さ50センチの場所にあり、役に立たなかった。「地元の方から70センチまで浸水したことがあると聞いていたのに……」。入沢晃己(てるみ)事務部長は言葉をのみ込んだ。

 岡山県西部を流れる高梁川流域では1893年以降、100棟以上が浸水する水害が11回あった。約4600世帯が浸水した今回の規模の水害は、1970年代以来だった。

 地区中心部にある市役所真備支所も7日午前1時ごろから浸水し始めた。「2階もだめ」。本庁にSOSが伝えられ、職員がボートで退避できたのは8日昼。支所は市作成のハザードマップの浸水域に建つが、機能不全に陥った時の対応策はなく、三谷育男支所長は「想定していない事態。何とか耐えてほしいという思いだった」とうなだれた。

 地区には24カ所の避難所が指定されていたが、ハザードマップで洪水や土砂災害の危険がある19カ所は使えず、3カ所しか開設できなかった。180人が定員だった市立岡田小には、一時約2000人が避難。土砂災害警戒区域のため本来は使えない真備総合公園にも大勢が集まった。

 同市真備町川辺の電気店経営、水川良介さん(32)が通っていた市立川辺小のグラウンドには76年9月13日の水害を伝える石碑が建つ。「大人の腰くらいまで浸水した」という先生の説明をかすかに覚えていた。消防団員でもある水川さんは6日夜もパトロールに出た。経験のない水位の上昇に「石碑の水害が本当に起こるとは」と振り返った。

 4年前に新築した平屋建てが浸水した会社員の男性(42)は、住み始めてから過去の水害を知った。「映像を見たわけじゃなく、昔の水害の実感が湧かなかった。2階建てにしなかったのは甘かった」と悔やんだ。

 「晴れの国」。晴れの日の多さから岡山県のPRに使用されるキャッチフレーズだ。復興庁によると、6月現在、岡山県に移住している東日本大震災の被災者は西日本最多の994人。県は「災害が少ない印象があるのでは」と分析する。

 石碑は流されず、残った。ただ、下部が汚泥に埋もれ、刻まれた日付は「昭和五十一年九月十」とまでしか読めなかった。近くの男性(71)は石碑のそばで当時を振り返った。「あのときはまだ床下浸水だった。最近の異常気象で、いつかこうなると思っていた」

【土田暁彦、待鳥航志、潟見雄大】

 ◇土砂災害リスク1.4倍に 「局地・激甚化」気象庁が警告

 気象庁によると、土砂災害のリスクが高まる1時間に50ミリ以上の大雨が降る頻度は、1970~80年代に比べ、この10年では1.4倍に増えた。同庁は、近年の雨の降り方を「新たなステージに入った」と位置付け、「局地化、集中化、激甚化している」と警告している。

 国土交通省の報告書(2015年1月)は、地震・津波対策が最大クラスを想定して進められているのに対し、洪水については浸水予想図の作成程度で、「社会全体の危機感が希薄だ」と分析。「住民の心構えの醸成」や「災害リスクの認知度の向上」が必要だとまとめている。

 東北大災害科学国際研究所の佐藤翔輔准教授(災害情報学)によると、津波調査では碑のある地域の方がない地域よりも死者数が少なかった。佐藤准教授は「被災経験の伝承は次世代の命を守るために力を持つ。家族や親族から危機感とともに聞くことで心に刻まれ、科学的分析による将来の想定は学校で学ぶ。この両輪が作用すれば、防災上大きな効果をもたらす」と指摘する。【津久井達、渡辺諒】

最終更新:7/14(土) 7:00
毎日新聞